金華山(旧名 稲葉山)1は、岐阜市のシンボル的存在。
社伝によれば、景行天皇14年、武内宿禰が稲葉山北西の椿原(現在の岐阜公園内の丸山)に五十瓊敷入彦命を祀ったのに始まるとされる。壬申の乱の際に天武天皇が当社に戦勝を祈願したという。2
『延喜式神名帳』では、美濃国厚見郡の神社として「伊奈波神社」の社名は記されていないが小社として「物部神社」の社名があり、これが当社に合祀された物部神社であるとされる。あるいは、当社自体が式内・物部神社であるとする説もある。『美濃国神名帳』には「正一位 伊奈波大神」「従五位下 物部明神」と記載されている。[2]a
1201年 鎌倉時代の公家 二階堂行政1が山上に砦を設ける。後に二階堂氏は稲葉氏と改姓し、当山は稲葉山と呼ばれるようになるが、その後廃城となる。1
現在の鳥取県東部にあたる因幡国1は律令制度の中で西日本の日本海側一体の山陰道1に含まれる。古く『古事記』などには「稲羽」、「稲葉」と表記されている。古代豪族「因幡国造」一族があり平安時代に「因幡氏」を名乗るようになった1。因幡氏の氏族に「伊福部氏(いおきべうじ/いふくべうじ)1」があり、物部氏の一族ともされ、イナバ神社と物部神社が一緒になっている理由もわかる。祖先を天火明命(アメノホアカリ)3という火の神とする伝承が多く、朝鮮半島からもたらされた製鉄は九州から山陰地方に拠点が多いことにも関連しているかもしれない。「伊福部」は美濃国本巣郡・山県郡(大宝2年戸籍)ほか、東は陸奥国・武蔵国・遠江国 ・尾張国から、西は薩摩国まで広く分布しており、とりわけ美濃を中心に、因幡国・出雲国・安芸国などの中国諸国に広く分布している。
天火明命(アメノホアカリ)[9a] という火の神は、『先代旧事本紀』では、物部連の祖である饒速日命(ニギハヤヒノミコト)と同一神としている。『古事記伝』では「ホアカリ」は「穂赤熟」で、稲穂が熟して赤らむ意味としており、天皇に繋る他の神と同様、稲に関係のある名前でもあり、太陽神、農業神として信仰されている。このことも、稲葉と物部に 共通する要素である。
15世紀中頃 斎藤利永が遺構を利用して城を築き、以後斎藤氏の居城となる。
1567年 織田信長の居城となり稲葉山城から岐阜城1と改称された。
1575年 信長は新たに建設された安土城に移り、岐阜城は嫡男織田信忠に受継がれた。
1601年 徳川家康により岐阜城は廃城とされた。
金華山という名は、この山に多いどんぐり(ツブラジイ)の花が初夏に一斉に開花する様を眺めた粋人(一説には織田信長といわれるが根拠は怪しい)が「金の花咲く山」→金華山と呼んだものが、なかなか佳名であるためお役所の気に入られて使用されるようになったものだという説に説得力があります。1
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