NHK大河ドラマ_光る君へ
2024年(令和6年)NHK大河ドラマ第63作。脚本は大石静。1だけでなく音楽担当は女性の冬野ユミ、西洋風クラシック、ジャズ、ロックなどがシーンに合わせて使い分けられています。
- 第1回 約束の月(幼児期)
- 第2回 めぐりあい(少女の頃)
- 第3回 謎の男(思春期)
- 第4回 五節の舞姫(道長の父)
- 第5回 告白(道長の友人)
- 第6回 二人の才女(清少納言)
- 第7回 おかしきことこそ(道長青年期)
- 第8回 招かれざる者(その頃の庶民)
- 第9回 遠くの国(平安京)
- 第10回 月夜の陰謀(和歌と漢詩)
- 第11回 まどう心(一条天皇即位)
- 第12回 思いの果て(道長の妻、明子)
- 第13回 進むべき道(一条天皇即位)
- 第14回 星落ちてなお(皇后定子)
- 第15回 おごれる者たち(石山寺詣)
- 第16回 華の影(奈良の興福寺)
- 第17回 うつろい(定子のサロン)
- 第18回 岐路(定子の父)
- 第19回 放たれた矢(長徳の変)
- 第20回 望みの先に(一条天皇妃)
- 第21回 旅だち(枕草子)
- 第22回 越前の出会い(越前へ)
- 第23回 雪の舞うころ(中国との交易)
- 第24回 忘れ得ぬ人(夫)
- 第25回 決意(夫)
- 第26回 いけにえの姫(彰子入内)
- 第27回 宿縁の命(赤染衛門)
- 第28回 一帝二后
- 第29回 母として(執筆のきっかけ)
- 第30回 つながる言の葉(和泉式部登場)
- 第31回 月の下で(位階)
- 第32回 式部誕生(藤壺と義理の息子)
- 第34回 目覚め(興福寺)
- 第35回 中宮の涙(道長の二人の妻)
- 第36回 待ち望まれた日(彰子出産)
- 第37回 波紋(本の装丁)
- 第38回 まぶしき闇(紫式部の子孫)
- 第39回 とだえぬ絆(中宮妍子)
- 第40回 君を置きて(紫式部の娘)
- 第41回 揺らぎ(道長の妻、明子)
- 第42回 川辺の誓い(雲隠の巻)
- 第43回 輝きののちに(頼道夫妻)
- 第44回 望月の夜(道長四女威子)
- 第45回 はばたき(伊藤健太郎)
- 第46回 刀伊の入寇
- 第47回 哀しくとも(更科日記)
- 最終回 物語の先に(視聴数)
第1回 約束の月(幼児期)
藤原為時(ふじわら の ためとき)紫式部の父。演:岸谷五朗
ちやは 紫式部の母。演:国仲涼子
第2回 めぐりあい(少女の頃)
- 紫式部(むらさきしきぶ) / まひろ 演:吉高由里子
- 藤原惟規(ふじわら の のぶのり)紫式部の弟。 演:高杉真宙
- 藤原穆子(ふじわら の むつこ)源雅信の妻、倫子の母。演:石野真子
- 清少納言(せいしょうなごん) / ききょう 演:ファーストサマーウイカ
- バイオリン演奏は中西俊博(第6、7回)
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第7回 おかしきことこそ(道長青年期)
紀元前6世紀のペルシャ(現在のイラン)を起源とし、日本には万葉以前に日本に伝わった打毬3は、インドからイギリスに伝わるとポロ4になりました。馬に乗ってプレーする球技です。
第8回 招かれざる者(その頃の庶民)
散楽は奈良時代に大陸から移入された、物真似や軽業・曲芸、奇術、幻術、人形まわし、踊りなど、娯楽的要素の濃い芸能の総称5。奈良時代には保護されていましたが、平安時代の村上天皇以以降は宮中で全く行われなくなりましたが、庶民の文化として、のちに能や歌舞伎、人形浄瑠璃などに発展しました。
第9回 遠くの国(平安京)
▶鳥辺野は都の東の一帯(清水寺から大谷あたり)で、平安時代の葬送地でした。藤原道長もここで荼毘にふされたそうです6。縄文・弥生時代から火葬の習慣はあったそうですが、平安時代は、皇族、貴族、僧侶、浄土宗門徒などに火葬が広まりましたが、庶民には安上がりな土葬が広く用いられていたそうです7。
▶京都には鳥辺野(とりべの)のほかにも、化野(あだしの)、蓮台野(れんだいや)という葬送地があります。野という言葉が示すように昔は野原であり、鳥葬8、風葬9の地ともいわれています10。
▶現代の日本は99.94%の火葬率です。イギリス73%、カナダ58%、アメリカ40%に比して高い比率です。カトリックが多いラテン系の国々はフランス30%イタリア13%とかなり低くなっています。イギリスも欧米の中では火葬率が高いですが、湿度が高い、国土が狭いなど、日本と環境が似ていることもあるかもしれません。第10回 月夜の陰謀(和歌と漢詩)
道長は和歌、まひろは漢詩でやりとりします。藤原行成は「和歌は心、漢詩は志」と指摘します。
第11回 まどう心(一条天皇即位)
『大鏡』に、一条天皇の即位式の日に高御座に人間の生首が置かれる事件が起ききたものの、報告された兼家は寝とぼけたふりをして話を聞かず、何事もなかったかのように即位式が行われたと記録されています11。花山天皇は19歳にて出家、修行巡礼後は摂津(兵庫県三田市)に隠遁。晩年帰京しましたが41歳で病死12。
第12回 思いの果て(道長の妻、明子)
源明子 道長の妾。道長の父に失脚させられた源高明の娘で、醍醐天皇の孫。道長の正室とされる源倫子は宇多天皇の曾孫。演:瀧内公美(「大奥」安部正弘役など)
第13回 進むべき道(一条天皇即位)
- 藤原定子(ふじわら の さだこ)道隆の長女、二歳年下の一条天皇の皇后13 演:高畑充希
- 皇后:藤原定子(977年 – 1000年:号中宮、のち皇后宮) – 関白藤原道隆長女
数え15歳の春に、4歳年下の一条天皇に入内。長徳の変から5年後、彰子の入内から1年後に死去。 - 皇后:藤原彰子(988年 – 1074年:号中宮) – 左大臣藤原道長長女
「長徳の変」から4年後12歳で入内。従姉の定子より11歳年下。 - 女御:藤原義子(974年 – 1053年) – 内大臣藤原公季長女
母は皇族21。長徳の変のあった長徳2年7月、妊娠落飾中で定子が里帰りしている中、22歳で入内し女御となりますが子は成しませんでした。弘徽殿女御と呼ばれ、80歳の長寿で亡くなりました。 - 女御:藤原元子(979年? – ?) – 右大臣藤原顕光長女、のち源頼定室
母は皇族。「長徳の変」のあった長徳2年11月、妊娠落飾中で定子が里帰りしている中、17歳で入内し女御となり承香殿女御といわれました。妊娠について藤原義子と確執があったと伝えられていますが、一条天皇との子は成さず、一条天皇崩御後に、皇族系統で甥にあたる2歳年上の源頼定と再婚しました。 - 女御:藤原尊子(984年 – 1022年) – 関白藤原道兼女、のち藤原通任室
定子の兄である父の病没後長徳4年に14歳で入内。定子の姪で母は一条邸の乳母。御匣殿女御とよばれました。一条天皇の崩御後、参議の藤原通任と再婚。39歳で死去しましたが子はありませんでした。 - 御匣殿(985年? – 1002年) – 藤原道隆四女(皇后定子の同母妹)
宮中女官御匣殿別当として、姉定子の子らを養育するうちに一条天皇に見初められ懐妊。里に退出し身重のまま没。 - 「枕草子」の“枕”の意味として思に以下の4つの説があるそうです。22
- 備忘録説:備忘録として枕元にも置くべき草子という意味[注 2]
- 題詞説:歌枕・名辞を羅列した章段が多いため[注 3]
- 秘蔵本説:枕のごとく人に見すまじき秘蔵の草子[注 4]
- 寝具説:「しき(史記→敷布団)たへの枕」という詞を踏まえた洒落
アーサー・ウェイリー、イヴァン・モリスによる英訳の他、ピーター・グリーナウェイの翻案映画などもあります。
ドラマでは司馬遷の「史記」になぞらえ清少納言が「四季」をテーマに文書き、伏せる定子中宮の枕元に置くシーンがありました。“たった一人の悲しき中宮のために枕草子は書き始められた”とのナレーション。
- 枕草紙は、伊周に紙を献上された中宮定子が清少納言に下賜したことをきっかけに、994年以前に書き始められ、中宮定子が身罷った1001年にはほぼ書き上げられていたと言われています。
ピーター・グリーナウェイの枕草紙(1996)23イギリス・フランス・オランダ合作映画。英題はThe Pillow Book。スペインのシッチェス・カタロニア国際映画祭でグランプリ。
ピーター・グリーナウェイ 監督・脚本
ワダエミ 衣装・美術
ブライアン・イーノ(デヴィッド・ボウイ、トーキング・ヘッズ、U2アルバム・プロデュースなど)音楽。「敵は幾万(若原一郎)」「愛馬進軍歌(春日八郎)」も劇中に使用。
ヴィヴィアン・ウー(「ラストエンペラー」側室役「宗家の三姉妹」宋美鈴役など)ヒロイン
ユアン・マクレガー:ヒロインの恋人となるイギリス人翻訳者ジェローム
緒形拳:父 日本人書家、幼い娘の顔などに幸運の書(文字)を書いて喜ばせた。
吉田日出子 おば、清少納言、メイド
ジュディ・オング(歌手)中国人の母
光石研(24朝ドラ「エール」ヒロインの実父役、映画「紙の月」など) 夫、弓の名手。
劇中に示されるテーマは以下のとおり
1.Agenda / 2.Innocent / 3.Idiot / 4.インポテンツ/老齢期 / 5.Exhibitionist / 6.恋人たち / 7.誘惑者 / 8.Youth / 9.秘密 / 10.Silence / 11.裏切り / 12.False Starts / 13.死者
第14回 星落ちてなお(皇后定子)
藤原繁子 一条天皇(藤原詮子の子)の乳母で、道長の兄(道隆の弟)の妻。父兼家が道隆に家督を譲った後、道兼存命中に平惟仲と再婚。道兼との娘尊子は父の死後、一条天皇の女御として入内14。
第15回 おごれる者たち(石山寺詣)
奈良時代に石切り場であった場所に聖武天皇の勅願により建立された石山寺には、平安時代に貴族たちによる石山詣が流行しました15。
第16回 華の影(奈良の興福寺)
藤原氏出身の光明皇后が奈良の興福寺に悲田院16、施薬院17を建立したことから、慣例として藤原氏が補佐していました。悲田院は貧窮者・病者・孤児などの救済施設で今の養護施設にあたり、施薬院は貧しい病人に薬を与え疫病(えきびょう)の治療をした施設で今の病院にあたります18。
第17回 うつろい(定子のサロン)
ファーストサマーウィカ演じる清少納言と金田哲演じる藤原斉信の大人のウィットにとんだ絡み場面があります19。清少納言と斉信が恋愛関係にあったかどうかはともかく、実際に親しい仲であったようです。
第18回 岐路(定子の父)
一条天皇は、関白道兼が疫病で亡くなった後継に、中宮貞子の兄、伊周を任命しようとするも、結局は母詮子が強く推す道長を任命します。ドラマの主人公である道長が善人に、伊周は若く分別が無いように描かれていますが、夫の天皇に愛されず中宮にもなれず息子にかけるしかなかった姑詮子の、息子の愛嫁定子に対する挑戦(または嫌がらせ)とも読み取れます。
第19回 放たれた矢(長徳の変)
長徳の変(伊周が、自分の恋人の妹に通う29歳の花山院を誤解し、相談された弟が襲撃した事件)の発端が描かれています。はんにゃの金田哲が演じる斉信の姉妹で、花山院が出家するきっかけとなった寵愛の藤原忯子の妹たちです。花山院が通っていた四の君藤原儼子20は、花山院が1008年に41歳で亡くなった後、道長の妾となりました。
第20回 望みの先に(一条天皇妃)
一条天皇主な后妃
第21回 旅だち(枕草子)
第22回 越前の出会い(越前へ)
松下洸平 宋人の薬師役25
浩歌(『ブギウギ』中国人作曲家役など。26中国を中心に活躍する日本人俳優)宋人商人役
安井順平(『ブギウギ』梅丸歌劇団制作部長役など)通司役
徳井優(引っ越しのサカイCMなど)越前の役人役
第23回 雪の舞うころ(中国との交易)
唐が没落し、日本も遣唐使を廃止し国風文化が発展しました。唐のあとの中国は混乱して五代十国時代となりますが、960年に宋が誕生しました。27。社会が安定したことで科学技術や交通網が進歩し、農業や製造業をはじめ出版や医療なども発展したほか、唐代に規制されていた商売も開放され、商業が発展しました。遼や西夏など北方諸国に陸路による交易を阻まれたこともあり、海からの交易が盛んになりました。
第24回 忘れ得ぬ人(夫)
紫式部が藤原宣孝にプロポーズされるシーンが描かれますが、紫式部滞在中に宣孝が越前を訪問した史実は無いとか。再三、手紙を送ったそうです。28
第25回 決意(夫)
20代の紫式部は、遠縁(曾祖父が同じ)で、父と同世代の藤原宣孝と結婚しますが、紫式部の他に少なくとも3人以上の妻妾がありました。翌年、のちに大弐三位とよばれるようになる娘を出産するも、それから二年後に夫と死別します。
第26回 いけにえの姫(彰子入内)
「左大臣は己の為に生きておらぬ」帝をかどわかし政から遠ざける邪悪な女から国の安寧を守ると、道長やその周辺の者たちは言います。大河ドラマらしく、主人公は自分のためではなく国のために行動しているとの視点でのせりふ回しとなっています。
第27回 宿縁の命(赤染衛門)
もの慣れているはずの衛門なのに閨房29以外に知恵はないの?
赤染衛門は30、紫式部や和泉式部とも親交があり、宮廷人にたのまれると和歌を作りました。情熱タイプの和泉式部に対して職人タイプとの評もあります31。源倫子や一条天皇妃彰子に仕え80歳を過ぎてから亡くなりました32,33。
宇多天皇から堀河天皇までの15代およそ200年間を道長の栄華を中心に描いた『栄花物語』34の作者とも言われます。
第28回 一帝二后
天皇の妃の序列は、皇后・中宮→女御→更衣の順。
中国では本来、皇后の住居という意味で「中宮」とよばれました。
日本では、天皇の生母を中宮、第一の妃を皇后と呼んでいましたが、村上天皇の頃から皇后を中宮とも呼ぶようになりました。藤原道隆の娘、定子が入内した際、皇后には前帝の后、皇太后には天皇の生母藤原詮子、太皇太后には前々帝の后35があり、定子には皇后の呼称のないまま中宮と呼ぶことになりました。つまり皇后と中宮が同一人物ではなくなりました。
道長の娘彰子が入内した際には前々帝の后は亡くなっており、彰子が中宮、定子が皇后と称され、一帝二后が誕生し、天皇の第一妃の定員が2人となりました。
南北朝以降、皇后・中宮の策立が絶えましたが、徳川秀忠の娘、和子が御水野尾天皇の嫡妻として皇后にたてられた際には中宮とも呼ばれました。江戸時代には数人の皇后(中宮)がありましたが、明治時代の皇室典範より、中宮の呼称はとりいれられず皇后1名の定員と定められました。36
女御は父親の地位が大臣以上37
更衣は本来は天皇の衣装替えに奉仕する女官の呼称でしたが、居室・寝室に立ち入ることが可能なことから后妃としての性質を備えるようになり、嵯峨天皇の時代に女御のうち下位のものを指す呼称となりました。摂関家の娘が女御として入内した時代は諸貴族は娘の入内を遠慮、また平安末期の上皇は大臣の娘以外も女御としたこと、女官の中でも尚侍が后妃化したことなどから、平安末期頃から更衣の称号も使われなくなりました。38
第29回 母として(執筆のきっかけ)
1002年頃、源氏物語は結婚後3年後ほどで夫と死別した現実を忘れるために書き始められたと言われています。39
枕草紙は、伊周に紙を献上された中宮定子が清少納言に下賜したことをきっかけに、994年以前に書き始められ、中宮定子が身罷った1001年にはほぼ書き上げられていたと言われています。
第30回 つながる言の葉(和泉式部登場)
紫式部より少し年下の和泉式部が登場します。赤染衛門の義理の姪にあたります。夫の和泉守・橘道貞、父の式部丞・大江雅致にちなんで和泉式部とよばれたそうです。紫式部とともに彰子妃に仕えました。妻母も娘も宮中に出仕していたようです。娘は小式部内侍。
冷泉天皇の第三皇子・為尊親王、その死後は同母弟・敦道親王(帥宮)との恋愛が伝えられています。敦道親王が和泉式部を家に迎え入れようとしたため正妃が家出した逸話もあります。藤原道長の妻、倫子の甥、源雅通との交際もあったようですが、晩年は藤原道長の家司、藤原保昌と再婚し夫の任国・丹後に下ったそうです。40
第31回 月の下で(位階)
正一位、従一位 太政大臣
正二位、従二位 左大臣、右大臣、内大臣
正三位 大納言
従三位 中納言
正四位下 参議
従四位下 (神祇)伯
従五位下 少納言41
第32回 式部誕生(藤壺と義理の息子)
1002年頃、源氏物語は書き始められました。当初は仲間うちで現代の同人誌のように楽しまれていたようです。1007年頃、彰子に出仕しはじめました42が、それまでにある程度の部分が完成していたと考えられています43。
源氏物語の藤壺宮は14歳で入内し、23歳で義理の息子光源氏18歳と関係を持ちます44。
12歳で入内し藤壺(飛香舎45)に住まった彰子は、当時19歳頃。亡き定子中宮の忘れ形見、敦康親王(当時8歳頃)は藤壺にて彰子とその母の倫子により養育されていました。
ドラマ37~38回では、敦康親王が彰子に甘える様子を道長が見て源氏物語を思い出し、元服を急がせるシーンがあります。敦康親王は11歳(彰子23歳頃)で元服します。
『源氏物語』には、藤壺宮と光源氏が結ばれたことが記述されている「輝く日の宮」46巻があったとされており、森谷明子の小説では原本を道長が勝手に処分した説をとっています。
敦康親王は20歳で早世し、残された娘、嫄子女王は、敦康親王と共住していた頼通・隆姫女王夫婦に引き取られ、のちに叔父、後朱雀天皇に入内しました。
第34回 目覚め(興福寺)
藤原鎌足夫人の鏡王女が夫の病気平癒を願い、669年に山背国山階(現・京都府京都市山科区)で創建した山階寺が起源。壬申の乱のあった672年に藤原京に移り、地名より厩坂寺と称しました。710年の平城京への遷都に際し、鎌足の子不比等は厩坂寺を平城京左京の現在地に移転し「興福寺」と名付けました。藤原氏の氏寺として、藤原氏の氏神である春日神社も傘下におくなど、大きな権限を持ちました。47
明治の頃の神仏分離令により僧は全員還俗し「新神司」として春日社に神職として仕えることとなりました。還俗に際しては堂上家(上級貴族)扱いの奈良華族48として男爵位(永世華族)に叙されました。
廃仏毀釈令により政府からの援助や檀家が減り、一般的な他寺と同様に興福寺の財政的な基盤が崩れました。現在、奈良県庁や奈良公園などになっている広大な敷地も接収され、寺は西大寺、唐招提寺に管理されることになりました。
西大寺49は興福寺と同じ法相宗の一派ですが、鎌倉時代より西大寺派という強固な宗派ネットワークを形成しており、全国の庶民から支持され他の寺院に依存せず独立して運営を続けることができました。鑑真に創建された唐招提寺も、戒律を重視する僧侶の養成機関として、律宗の中心寺院としての特異な役割によって、律宗僧侶の支持や政府支援があり他の寺院に依存する必要がありませんでした。
天皇の命によって建立され、国家守護の大仏がある東大寺50は、政府の支援も受けやすく、華厳宗大本山として宗教界での影響力も圧倒的であり、財政基盤は安定していました。東大寺が、敷地を接する興福寺の管理を申し出たものの、宗派の違いや、大寺の傘下に入ることで寺としての独立性が失われる懸念から、興福寺側から断った経緯があります。
結局、明治14年に再興が認められ、平成10年には世界遺産となりました。
第35回 中宮の涙(道長の二人の妻)
道長は21歳頃、2つ歳上の倫子と結婚しました。倫子は24歳から43歳までに二男四女を産み、娘は皆、帝や東宮に嫁がせました。
1つ歳上の明子とは倫子と結婚した翌年に結婚しました。明子は結婚5年目28歳から40歳まで四男二女を産みました。51
源氏物語に登場する夕霧の、頭の中将の娘で幼馴染の妻、雲井雁は7~8人の子を産みました。源氏側近の惟光52の娘、藤典侍53は側室として4~5人の子を産みました。そのうち2名は源氏側室の花散里が、1名は、夕霧の遅くできた側室 落葉宮54に育てられました。「すきもの」の源氏に対して、均等に妻のもとに通う夕霧は「まめびと」と表現されています。
第36回 待ち望まれた日(彰子出産)
彰子中宮は1008年に長子(後の後一条天皇)を生みますが、道長にとっては初孫でした。
第37回 波紋(本の装丁)
ドラマ中で中宮の意向で装丁され帝に献上される源氏物語は33巻まで。後世の研究では源氏が栄華を極めるまでの第一部とされています。55
ドラマでは「糸綴じ56」による製本の様子が具体的に表現されています。各巻に合うような紙を選んであり、33巻き揃うと、とても美しい全集になります。57
第38回 まぶしき闇(紫式部の子孫)
紫式部の同母弟である惟規58は、賀茂斎院である村上天皇の選子59(せんし/のぶこ)内親王の女房で、和泉式部の妹である中将の君60の恋人であったとされます。
他に妻二人、それぞれに息子がひとりづつ知られていますが、惟規は父の任地の越後に向かう途中に急病で30代後半で亡くなりました。
紫式部の七代子孫である源の在子が後鳥羽上皇に嫁し、その孫、後嵯峨天皇から現在の天皇につながっています。
だから紫式部の源氏物語は公家文化、ひいては日本の歴史の中で重きを置かれてきたんだろうね
第39回 とだえぬ絆(中宮妍子)
藤原道長と倫子の次女、藤原妍子(かんし、きよこ)は、一条天皇の従弟で東宮、18歳年上の居貞親王に10歳で嫁ぎました。親王が三条天皇61に即位し中宮となりましたが、皇子は生まれませんでした。
三条天皇の即位時に一条天皇と彰子の皇子で道長の外孫にあたる敦成親王(後の後一条天皇62)を東宮としましたが、早々に道長の圧力により語彙以上天皇に譲位させられました。ただ、三条天皇は寵愛した娍子皇后の皇子敦明親王を東宮とすることを条件としました。
三条天皇の死後、敦明親王63は道長の圧力の前に自ら皇太子を辞し、一条天皇と彰子の次男で御一条天皇の弟である東宮敦良親王が立てられました。その見返りに敦明親王は准太上天皇としての待遇を得、道長の第二夫人明子腹の娘を妻とし、明子らの居住する高松殿にて暮らしました。
三条天皇没後は妍子は一人娘禎子内親王64と共に三条天皇から伝領した枇杷殿65に住み、禎子内親王が、従兄弟の敦良親王(のちの後朱雀天皇66)に入内するのを見届けて、その半年後に病で崩じました。御一条天皇には皇子がなく敦良親王が順当に後朱雀天皇として即位し、禎子は皇后となり、尊仁(のちの後三条天皇)始め一男二女を設けました。
第40回 君を置きて(紫式部の娘)
紫式部の娘、賢子は、18歳頃、母の後を継ぎ女院彰子(上東門院)に女房として出仕しました。恋多い女性であったと言われています。道長の次男、北家の藤原定頼、宇多源氏の源朝任とも交際があったとか。道長の兄、道兼の次男、兼隆と結婚し娘を生みますが、のちに高階成章と再婚し、67夫の位階から大弐三位とよばれました。
一条天皇と彰子の次男、敦良親王(のちの後朱雀天皇)の第一皇子、親仁親王の母は、道長の娘、嬉子でしたが、産後すぐに嬉子は亡くなり、親仁親王(のちの後冷泉天皇)は女院彰子の元で養育され、大弐三位が乳母となりました。後冷泉天皇の、母の身分が低い皇子は大弐三位の息子、高階為家の養子となっています。
第41回 揺らぎ(道長の妻、明子)
道長の第二の妻とされる高階明子を題材とした小説。
➤道長の叔母にあたる三の君は源高明に嫁ぎました。三の君の妹、愛子68はその後妻となりました。小説では二人が駆け落ち同然に結婚したとの設定で、その娘が明子です。ですから、道長とは従妹兄同士ということになります。
高明は左大臣になり三の君との娘を親王に嫁がせますが、高明が外戚になるのを嫌った藤原一族により、謀反の密告がされ流罪となりました。69
➤小説では、定子の母方の高階一族が、帝の定子への寵愛を笠に着て、身分もわきまえず高位の席に着席していると描写します。
➤明子は道長を心から愛せないと言います。本妻の倫子のことを「土御門殿」と呼んでいますが、息子たちを醜い争いに巻き込みたくない気持ちで、土御門殿が長男、自分が次男を生んでよかったと述懐します。
➤入内した彰子の局の屏風に和歌を寄せるように希望した道長に対し、個人的な命令には従うべきではないと断固拒否した藤原実資のエピソードも盛り込まれています。
➤定子の忘れ形見、媄子内親王は7歳で亡くなるまで道長の姉、藤原詮子(東三条院)の養子として育てられました。
➤故一条天皇の妃で、水を生んだ女御と揶揄されていた承香殿女御が、以前にも東宮妃とスキャンダルを起こした源頼定の妻となったエピソードも盛り込まれています。
第42回 川辺の誓い(雲隠の巻)
源氏物語の中で題名だけ伝わっている巻がありますが、当初から内容が無かったのか、散逸したのかはわかっていません。
この前の「幻70」という巻では、紫の上を失った源氏の様子と出家の決意が語られます。
その後、源氏が出家、隠棲し、死去したことが、後の巻「匂宮」で確認できますので、散逸したとすれば以上のような内容が書かれていると推測されます。
のち室町時代以降に書かれたと考えられる作者不詳の「雲隠六帖」という補作が有名です。71
オリエント素材の9編の短編集に「源氏の君の最後の恋72」という源氏が愛した女性に看取られる小説があります。
収録作品
・老絵師の行方(Comment Wang-Fô fut sauvé)
・マルコの微笑(Le Sourire de Marko)
・死者の乳(Le Lait de la mort)
・源氏の君の最後の恋(Le Dernier Amour du prince Genghi)
・ネーレイデスに恋した男(L’Homme qui a aimé les Néréides)
・燕の聖母(Notre-Dame-des-Hirondelles)
・寡婦アフロディシア(La Veuve Aphrodissia)
・斬首されたカーリ女神(Kâli décapitée)
・コルネリウス・ベルクの悲しみ(La Tristesse de Cornélius Berg)
以下は白水Uブックス版に収録されていない。
・マルコ・クラリエヴィッチの最期(La Fin de Marko Kraliévitch)73
第43回 輝きののちに(頼道夫妻)
倫子腹の道長の長男、頼道は正妻の隆姫(父も母も村上天皇の子)を愛し、皇女の降嫁も断りましたが、二人の間に子は産まれませんでした。隆姫の妹は、加冠後に頼道と共に育った、故中宮定子の敦康親王の妃となっており、その娘である藤原嫄子(けんし/もとこ)は頼道隆姫夫妻の養女となって後朱雀天皇(彰子の子)に入内しました。ただ、嫄子は後朱雀天皇との間に皇子の誕生を見ることなく亡くなりました。
第44回 望月の夜(道長四女威子)
倫子腹の藤原威子は20歳の時、9歳年下の後一条天皇74に嫁し中宮となりました。後一条は12歳年上の姉、彰子75中宮と一条天皇の子で、威子にとっては甥にあたります。しかし道長をはばかって他の后妃は入内しませんでした。入内の11年後、13年後に2人の内親王を出生しましたが皇子は誕生しませんでした。二人の内親王をもうけた数年後に、後一条天皇(29歳没)に続いて威子中宮も亡くなりました。
第45回 はばたき(伊藤健太郎)
双寿丸役の伊藤健太郎は「今日から俺は!」伊藤真司役でブレイク。2020年バイクとの接触事故で救護せずその場から立ち去った行為がひき逃げ容疑で逮捕されましたが、翌年、示談が成立しました。
第46回 刀伊の入寇
1019年に女真族の一派とみられる集団を主体とした海賊が壱岐・対馬を襲い、さらに九州に侵攻しました。女真とは、12世紀に金、後の17世紀には満洲族として後金を経て清を建国する民族で、10世紀から13世紀初頭にかけて、アムール川水系および特に現在のウラジオストクからその北側にかけての沿海州の日本海沿岸部には女真族の一派が進出していた時期と考えられています。76交易していた渤海が消滅し海賊活動が盛んになりました。(図はWikipediaより)
当時の朝鮮、高麗の言葉で異民族を示す東夷に日本の文字を当てたそうです。その頃、九州は海賊の被害をかなりうけていたそうです。高麗はトイと戦い日本人の捕虜を救出しました。
大陸から来訪する医師に眼病治療を受けるため志願し、太宰権師となっていた藤原隆家が、九州の武士団と共に刀伊を撃退しました。
第47回 哀しくとも(更科日記)
『更級日記』(さらしなにっき / さらしなのにき)は、平安時代中期頃に書かれた回想録。作者は菅原道真の5世孫にあたる菅原孝標の次女。母の異母姉は『蜻蛉日記』の作者・藤原道綱母。作者13歳(数え年)の寛仁4年(1020年)から、52歳頃の康平2年(1059年)までの約40年間が綴られている平安女流日記文学の代表作。77早い時期から源氏物語について言及されていることで知られます。
最終回 物語の先に(視聴数)
最終回でのラストシーンは主人公がアップになったまま画面が静止し「4秒間のフリーズ」として視聴者に強烈な印象を残しました。
世帯平均視聴率は2000年以降の大河ドラマでは歴代ワースト2位と苦戦しましたが、配信では歴代ナンバーワンの視聴数となっており、大きな反響を呼びました。大河の華であった合戦シーンがほぼ描かれず、“文学大河”というチャレンジで新たな女性層を取り込むことに成功。制作サイドの狙いが見事にハマった格好です」(民放プロデューサー)78
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