『THE TUDERS』Season1

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『THE TUDORS〜背徳の王冠〜』Season1

THE TUDORS〜背徳の王冠〜1(2007~2010年)アメリカ・カナダ・アイルランド・イギリス合作。

シーズン1

第1話 英国王 ヘンリー8世 (In Cold Blood )

ヘンリー8世(主人公イングランド王)、キャサリン・オブ・アラゴン(王妃)
ジェーン・シーモア(王妃の侍女で王の愛人)、エリザベス・ブーリン(王妃侍女)
トマス・ウルジー枢機卿(王の側近)、トマス・モア(王の側近、教師)
チャールズ・ブランドン(王の寵臣、バッキンガム公娘と交際、後、公爵となり王姉と結婚)
第2代バッキンガム公(エドワード王の直系子孫、第2話で反逆罪で処刑)

———-TOPIC(テニスの原型)

ジュ・ド・ポーム2は、テニスのもとになったスポーツで16~17世紀のイギリス・フランスの絶対王政時代にさかんになりました。

古くは素手(フランス語で手のひら=paume)で打ち合っていましたが、後にラケットを使うようになりました。イギリスに渡りテニスと呼ばれるようになりました3

イギリスの初期のコートは、1526年から1529年にかけてトマス・ウルジー、または1532年から1533年にかけてヘンリー8世によって建設された、ロンドンハンプトン・コート宮殿のロイヤルテニスコートです4,5。観客席のあるデダーン型と言われるコートです。

スコットランドでも、1539年から1541年にかけてスコットランド王ジェームズ5世の命で造られた観客席の無いカレ型のコートが現存しており、リアルテニスのコートとして利用されています。

第2話 仇敵 (Simply Henry )

トマス・ブーリン(フランス大使)
メアリー・ブーリン(トマスの娘、ヘンリー王の愛人)、
アン・ブーリン(トマスの娘、第3話でンリー王の愛人となる)
エリザベス・ブラント(王妃侍女、王の息子を出産)
フランソワ1世(フランス王)、アンリ2世(フランス王太子)
メアリー(ヘンリー王とキャサリン・オブ・アラゴン王妃の娘、アンリ2世と婚約)

———-TOPIC(フランスならびにイングランド王)

イングランドとフランス内紛による百年戦争6において、1420年にトロワ条約7にて、時のフランス国王シャルル6世の娘婿のイングランド王ヘンリー5世が後継とされました。

1422年ヘンリー5世、シャルル6世が続けて亡くなった後、ヘンリー5世の子ヘンリー6世が「フランスならびにイングランド王」を名乗りました。以来、フランス革命によるフランス王国の消滅を経て、アイルランド反乱を鎮圧したハノーヴァー朝のジョージ3世が「グレートブリテンならびにアイルランド連合王国8」の国王を宣言するまで、代々のイングランド国王はフランス国王とも名乗りました。

一方、ジャンヌ・ダルクを起用し、フランス国土からイングランド勢力を追い払ったシャルル6世の子シャルル7世9、1429年にランス大聖堂で戴冠式を行い、正式にフランス王を名乗りました。その後、フランスにおけるイングランド領のほとんどを奪還し名実的にフランス王となりました。

第3話 仕組まれた恋 (Wolsey, Wolsey, Wolsey! )エミー賞衣装賞

2007年エミー賞・衣装賞受賞

マーガレット・チューダー(ヘンリー王の姉、史実では王即位前にスコットランドに嫁ぐ、史実では妹のメアリー・チューダーがフランスに嫁ぎ、後年、ブランドンと結婚)
カルロス1世(スペイン国王、キャサリン王妃の甥)

第4話 ヘンリーの決意 (His Majesty, The King )

———-TOPIC(信仰の擁護者)

ヘンリー8世はルターの宗教改革を批判する『七秘蹟の擁護10,11』を著した功で、1521年10月に教皇レオ10世から「信仰の擁護者(Defender of the Faith)12」の称号を与えられます。後に、イギリス国教会を設立し教皇から破門されるものの、ヘンリー8世以来、代々の国王は公式に「信仰の擁護者」の称号を名乗っています。

秘跡(サクラメント)13とは、ラテン語のサクラメントゥム(Sacramentum)「聖なるもの」、ギリシア語のミュステリオン(μυστήριον)「秘儀」が語源で、神の恩寵が実感できる事柄を指します。カトリック教会では、洗礼堅信聖体ゆるし病者の塗油叙階結婚の7つとされてきました。
マルティン・ルター14は、聖書に根拠のない秘跡や、秘跡の授与や悔い改め無しに贖宥状の購入のみによって償いが軽減されるという考え方や聖職者の堕落を批判し、宗教改革の発端となりました。現在のプロテスタントは「洗礼」と「聖餐」の二つだけを礼典として認めています。ヘンリー8世の著作では、この批判に対して、秘跡とカトリックの聖職者を擁護しているそうです。しかもかなり強い言葉を使って「ルターのような異端者に影響されるな」という締めくくっています。15

ヘンリー8世の論文の邦訳が読みたい。

第5話 悲しき王妃 (Arise, My Lord )

トマス・タリス(宗教音楽家)、ウィリアム・コンプトン(ヘンリー8世廷臣)
ソールズベリー女伯マーガレット・ポール(メアリー王女ガヴァネス16

———-TOPIC(チューダー・ローズ)

(プランタジネット家紋章)
👉イギリスで最初に紋章を用いたのはヘンリー217(在位1154~1189年)で、ライオンを用いたデザインから獅子心王と呼ばれました。祖父のヘンリー1世18を継ぐ男子がいなかったので、孫でフランス貴族ジョフロワ4世の息子アンリがヘンリー2世としてイングランド王になりました。
ジョフロワ4世がはマメ科の植物エニシダ(planta genesta、日本名は「金雀枝」)を紋章としていたことから、後に家名とななりました。ただし、「プランタジネット19」を姓として名乗ったのはヨーク家ヨーク公リチャード・プランタジネット(1411~1460年)からです。
👉後にリチャード1世20(在位1189-1199年)が2頭3頭とライオンを増やしたそうです21

1頭が2頭、2頭が3頭になった事情を知りたいな。

👉エドワード3世は、母方の系統からフランスの王継承権も主張し、フランス王家カペー家のユリイングランドのライオンをくみあわせた紋章を使いました22。2つの紋章を組み合わせることをマーシャリングというそうです23

この紋章改訂で注目すべきところは、イングランド王の紋章や国王旗であるにもかかわらず、その優位の位置(左上)にまずフランス王の紋章を置き、劣位の位置にイングランドの紋章を置くという組合せになっていることである。その意味は「われはまずフランス王であり、次いでイングランド王である」ということである。紋章や旗だけでなく、国王の正式称号もまずフランス王であり、次いでイングランド王の順になっていた。さすがにヘンリー4世の1395年からは、まずイングランド王の称号をとなえるようになった。歴代国王はフランス王の紋章を、・・・ジョージ3世の1801年まで、実に461年間手放さなかった。<森護『ユニオン・ジャック物語』1992 中央公論新社 p.100>24

(ラカンスター朝紋章)
👉プランタジネット朝エドワード3世の四男ラカンスター公ジョン・オブ・ゴーントの子ヘンリー4世にはじまる王朝です。薔薇戦争とよばれるラカンスター家とヨーク家の30年にわたる戦いでリチャード3世に勝利し最終的にイングランドの王になったヘンリー7世の旗印は赤い竜25でした。
ローマ軍に由来し、ケルトの象徴としてブリテン人に使用されてきました。中世のアーサー王伝説では、魔術師マリーンがアーサー王の父ユーサー・ペンドラゴン26に息子が偉大な王になることを予言します。ペンドラゴンとは、ユーサーが外敵との戦争の最中に見た明るく輝く彗星を、火の竜として吉兆と考えたたことからつけた、ウェールズ語(ブリトン語)で「竜の頭(あたま)」を意味する称号です。
ヘンリー7世はこの伝説にあやかって竜を旗印としました。戦争末期には赤いバラの花をかたどったバッジが使われるようになりました。

(ヨーク朝紋章)
👉プランタジネット朝エドワード3世の五男ヨーク公エドマンド・オブ・ラングリー27の子孫エドワード4世、およびその弟リチャード3世、その子エドワード5世の王朝です。薔薇戦争とよばれるラカンスター家とヨーク家の30年にわたる戦いの最期の王リチャード3世の軍のバッジは白い猪でした。ヨークは、ヨークシャー北部にある都市の名で、ローマがブリテンに進出してきた頃はラテン語でEboracumと呼ばれていたそうです。このEborの発音と似ているboar(猪)28が採用されたという説もあります。戦争末期には白いバラの花29をかたどったバッジが使われるようになりました。

(チューダー朝紋章)
リチャード3世に勝利したラカンスター派のヘンリー7世30(ヘンリー8世の父)は庶子系であり、王位継承に疑義がもたれる可能性もありました。ヨーク家の直系子孫エリザベス・オブ・ヨークを妻とすることで、両派の和解を図ったのです。ラカンスター家、ヨーク家融合の印として、チューダー・ローズと呼ばれる、赤と白の薔薇を組み合わせた紋を使い始めました。

現在のイギリスの国章31の一部分にもチューダーローズ32が描かれています。

紋章の変遷 (CC-BY)

第6話 落日の兆し (True Love )

ジョージ・ブーリン(アン・ブーリンの兄)
トーマス・ワイアット(詩人、外交官、アン・ブーリンの元恋人)

———-TOPIC(ガブリエル・デストレとその妹)

ドラマ中、王姉マーガレット・チューダーが、夫チャールズ・ブランドンにふざけて見せる入浴場面は、名画『ガブリエル・デストレとその妹33』のパロディです。

ガブリエル・デストレとその妹(public domain)

作者不詳で、厳密には『ガブリエル・デストレとその姉妹ビヤール公爵夫人とみなされる肖像』 (Portrait présumé de Gabrielle d’Estrées et de sa sœur la duchesse de Villars) という名称でルーブル美術館所蔵です34

ドラマの時代よりは少し後の1594年に、フランス王アンリ4世の愛妾ガブリエル・デストレをモデルにして描かれたとされます。このドラマに登場するフランス王フランソワ1世に招かれフォンテーヌブロー城の改築にかかわった、ロッソ・フォレンティーノ35にはじまるフォンテーヌブロー派36によるものとされています。アンリ4世はフランソワ1世の孫娘マルグリット・ド・ヴァロワ(王妃マルゴ)の夫です。

このドラマにこの絵を関連させたことについて、様々な意味を象徴している演出とも憶測出来ます。
👉アンリ4世は愛妾ガブリエル・デストレと結婚するため、ローマ法王に、政略結婚したマルゴ王妃との結婚無効を認めさせます37。(当時はキリスト教で離婚は認められないので結婚自体が無効と認めてもらうのです。)
これは、ヘンリー8世が王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの結婚無効をローマ法王に認めさせようとしたことと似ています。
👉右側がガブリエル・デストレで、左側は9歳下の妹ジュリエンヌ、ヴィヤール公爵夫人というのが通説だそうですが、この姉妹は両方ともアンリ王の愛人だったとの説があります。
ヘンリー8世の愛人で後に王妃となるアン・ブーリンの姉メアリー・ブーリンもヘンリー8世の愛人であったとの説から、姉妹とも王の愛人という共通点もあります。
👉アンリ王の子供を産んだ年に制作されたそうですが、絵の中の指輪はその記念または婚約指輪とも言われています。乳首をつまんでいる様子は母乳の象徴、後ろの乳母が赤ん坊の産着を縫っているなど、子供を妊娠したことを示唆するものと言われています。
ヘンリー8世の愛人アン・ブーリンやメアリー・ブーリンも王の子を産みました。チャールズ・ブランドンと結婚した王妹メアリー・チューダーも子を成しています。

他にもこの絵には、バックに半裸の男性の下半身の絵のようなものが掲げられていることや、暖炉の前にベルベットをかけた箱が置かれていることなど意味深なモチーフが描かれています。

浴室の貴婦人(public domain)

同じフォンテーヌブロー派の絵で、この絵以前の1571年に描かれたという『浴室の貴婦人』も作者不詳ですが、モデルはディアヌ・ド・ポワティエ、アンリ2世王(フランソワ1世の子)の愛妾です。
奥の召使の構図や指輪を持つポーズから『ガブリエル・デストレとその妹』は、この絵を元にしていると言われます。

第7話 神の怒り (Message to the Emperor )

———–TOPIC(グリーンスリーブス)

Greensleeves-rossetti

イギリスの民謡グリーンスリーブス38(1500年代)に生まれ、ヘンリー8世がアン・ブーリンのことを歌ったといわれています。「レイディ・グリーン・スリーヴスの新北方小曲(A New Northern Dittye of the Lady Greene Sleeves)」という記録39もあり、グリーン・スリーブスは直訳すると「緑の袖家の貴婦人」という意味になります。とはいえ研究によると、16世紀後半のイタリア発祥の曲調がちりばめられており、時代があわないので、ヘンリー8世の作品ではありえないとのことです40

1800年代に『ベアタ・ベアトリクス』や『オフィーリア』で知られるロセッティ41も、グリーンスリーブス貴婦人を描いています。

第8話 世紀の裁判 (Truth and Justice )

カンペッジョ枢機卿(ヘンリー8世の離婚裁判のために教皇クレメンス7世から派遣される)

第9話 栄華の終わり (Look to God First )

第10話 獅子の目覚め (The Death of Wolsey )

メンドゥーサ大使(スペイン大使)、チャプイス大使(メンドゥーサ大使の次のスペイン大使)

———-TOPIC(ヘンリ-8世の女性遍歴)


 

  1. ウィキペディア(日本語)THE TUDORS〜背徳の王冠〜
  2. ウィキペディア(日本語)ジュ・ド・ポーム
  3.  “tennis”, The Oxford English Dictionary, vol. XVII, 1989, p. 777.
  4.  The Royal Tennis Court: Hampton Court Palace” (英語). 2014年7月5日閲覧。
  5. Fact Sheet: Real Tennis and The Royal Tennis Court at Hampton Court Palace (PDF)” (英語). Historic Royal Palaces: Hampton Court Palace. 2015年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月5日閲覧。
  6. ウィキペディア(日本語)百年戦争
  7. ウィキペディア(日本語)トロワ条約
  8. ウィキペディア(日本語)グレートブリテン及びアイルランド連合王国
  9. ウィキペディア(日本語)シャルル7世
  10. Full text of “Assertio septem sacramentorium, or, defence of the seven sacraments”
  11. Wikipedia(English)Defence_of_the_Seven_Sacraments
  12. ウィキペディア(日本語)信仰の擁護者
  13. ウィキペディア(日本語)秘跡
  14. ウィキペディア(日本語)マルティン・ルター
  15. Henry VIII, Martin Luther and Defense of the Seven Sacraments
  16. ウィキペディア(日本語)ガヴァネス
  17. ウィキペディア(日本語)ヘンリー2世
  18. ウィキペディア(日本語)ヘンリー1世
  19. ウィキペディア(日本語)プランタジネット朝
  20. ウィキペディア(日本語)リチャード1世_(イングランド王)
  21. 英国貨幣研究>貨幣における紋章(第2回)
  22. 『他民族の国イギリス>第3章 王家の紋章 (pp. 103-163)』
  23. 英国貨幣研究>貨幣における紋章(第3回)
  24. 世界史の窓>エドワード3世
  25. ウィキペディア(日本語版)赤い竜
  26. ウィキペディア(日本語)ユーサー・ペンドラゴン
  27. ウィキペディア(日本語)エドマンド・オブ・ラングリー_(初代ヨーク公)
  28. Wikipedia(English)White boar
  29. Wikipedia(English)White_Rose_of_York
  30. ウィキペディア(日本語)ヘンリー7世
  31. ウィキペディア(日本語)イギリスの国章
  32. ウィキペディア(日本語)テューダー・ローズ
  33. ウィキペディア(日本語)ガブリエル・デストレとその姉妹
  34. 《ガブリエル・デストレとその姉妹ビヤール公爵夫人とみなされる肖像》”. ルーヴル美術館. 2018年12月9日閲覧。
  35. ウィキペディア(日本語)ロッソ・フォレンティーノ
  36. ウィキペディア(日本語)フォンテーヌブロー派
  37. ベルギー王立美術館公認解説者、美術史家 森耕冶facebook > 欧州美術史講座
  38. ウィキペディア(日本語)グリーンスリーブス
  39. John M. Ward, “‘And Who But Ladie Greensleeues?'”, in The Well Enchanting Skill: Music, Poetry, and Drama in the Culture of the Renaissance: Essays in Honour of F. W. Sternfeld, edited by John Caldwell, Edward Olleson, and Susan Wollenberg, 181–211 (Oxford:Clarendon Press; New York: Oxford University Press, 1990): 181
  40. Greensleeves
  41. ウィキペディア(日本語)ダンテ・ゲイブリル・ロセッティ

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