百済 帝王の娘スベクヒャン

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帝王の娘スベクヒャン

テレビドラマ「帝王の娘 スベクヒャン」

第1話1(2013-2014)6世紀の百済を舞台に、百済第25代王・武寧王の(架空の)娘の数奇な運命を描いた韓国ドラマ。豪族ペク・カ(実在の人物)の娘(架空の人物)は、北魏との闘いに出征中の恋人の兵官佐平(百済の軍事官職)ユンの子を宿していました。

“お嬢様方の昼寝の時刻です”
女性が昼寝する習慣があったのかな

➤「深香木」という香木は百年に一度よい香りのする「守百花すべくひゃん」といわれる花を咲かせるということで、ヒロインの名前の由来としています。(第14話)
➤武寧王の架空の娘の設定ですが、同時代の日本の継体天皇の妃、手白香皇女も韓国語読みではスクベヒャンと言い、ドラマの企画段階では主人公名「手白香」だったそうです2。和歌山県の隅田神社には「斯麻」なる人物が、継体天皇の長寿を祝って奉納したとされる鏡があり、「斯麻」は後の武寧王として、この二人の王族に交流があったと考える説もあります。3

第24代百済王 東城王の大臣ペク・カの反乱

第2話 王宮で燃灯会(旧暦4月8日に明かりを灯して仏に福を祈る朝鮮の法会)が開かれ大臣の苩加ペク・カ4と娘が参加するシーンで、当時、首都であった熊津ウンジン5から加林カリムへ移動させられていたペク・カが、更に加林から高句麗との国境への移動を命じられます。

“高句麗が挑発を繰り返すため新羅の要請を受けた。まもなく新羅に兵をおくるつもりだ。”

ペク・カは高位一族の出身ですが、このころ貴族達と、王権強化を目指す東城トンソン王との確執があったとされます。ペク・カは東城王を暗殺したものの、武寧王に征伐されます(第3話)。武寧王は東城王の息子とも叔父とも言われており(第4話)、もし叔父であったとすれば、それぞれが倭国にいた時期や戻った時期、東城王が即位した経緯や東城王の息子のかわりに武寧王が即位した経緯などに絡み、複雑な権力闘争があった可能性も推察できます。
第3話 東城王が蓋鹵王がいろおうについて述懐します。
➤第21代百済王の蓋鹵王6は、中国南朝と通じるとともに新羅・倭国と同盟(羅済同盟)して高句麗に対抗しましたが失敗し、却って高句麗の侵攻を招いた。その結果475年には首都慰礼城(ソウル)を陥落させられ、王自身は戦死することとなりました。
➤461年頃、王子の昆支王7を倭国に人質として送りました。蓋鹵王の子第22代百済王文周王の子、第23代百済王三斤王が亡くなったため、昆支王の子牟大もでが第24代百済王東城王8として即位しました。
『日本書紀』には、昆支王は蓋鹵王の夫人を一人賜り、身籠っていたその夫人が、来日途上に筑紫の各羅嶋(加唐島)で男児を産み嶋君(斯麻)と名付けられて、母子ともに百済に送り返され、後の第25代百済王武寧王となったと記されています。
武寧王が東城王の息子という説もありますが、ドラマでは、従弟の東城王に王位を譲ったのち兵官佐平として補佐したユンと設定しています。
第4話 ペク・カの手下が東城王を暗殺します。ドラマではユンの側近が情報操作をして、次期王ユン(のち武寧王)の了承と思わせて、ペク・カに東城王を暗殺させる設定です。
第5話 ペク・カがユンに成敗されます。ドラマではユンは温情をかけ自害させる設定です。
第6話 ペク・カの架空の娘 彩花チェファがユン(のちの武寧王)の子を宿したまま逃亡します。

伽耶国

ウィキペディア「高句麗」より

伽耶または加羅と呼ばれる朝鮮半島南部の国は、複数の国々が集まった国家連合でした。北は高句麗9の勢力に影響される新羅と百済、南は倭国に挟まれ、時代により様々に同盟を組んだり取り込まれたりしていました。10倭国では伽耶付近の同盟国を任那と呼んでいました。

伽耶国の中でも特に大きい大伽耶国と言われるのは金官加羅国ですが、ドラマには小国の己汶きむんが登場します11。己汶国は元々百済でしたが(第29話)伽耶国となり、のちに新羅の勢力を借りて己汶国に侵攻する金官加羅国に対し、倭国の勢力を背景にした百済が己汶国を再度併合します12,13。『日本書紀』には、武寧王時代に百済に己汶を割譲した記述があり、本当に倭国が返還したのか、百済の侵略に目をつむったのか、己汶を奪った伴跛(はへ)国との戦闘に加勢したのか定かではありませんが、この頃に己汶は百済に併合された事実はあるようです。

伽耶連合に対しては、新羅は高句麗と同盟を組んでおり、百済は倭国との同盟で勢力の均衡を保とうとしていました。ドラマでは、高句麗と百済を天秤にかける己汶国王に対し、武寧王が第22代高句麗王の興安ファンアンを揶揄する描写があります(第15話)。一方、新羅の勢力強化に対しては高句麗と百済が連携するなど、複雑な国家関係でした。

金官加羅国の最後の王、第10代仇衡きゅうこうは、529年4月(継体天皇23年)に来日したと日本で記録される任那王、己能末多干岐(阿利斯等)と同一人物とみられ、金官国滅亡後に子孫は新羅や日本に亡命したとされています。14

第7話 ユンの武寧王としての即位と、チェファの娘出産が同時に描かれます。
第8話 おしの奴隷に助けられ逃亡したチェファは伽耶国で赤ん坊を雪蘭ソルランと名付けて育てます。
第9話 チェファは奴隷クチョンと夫婦になり、武寧帝との娘の異父妹ソルヒが生まれます。

伽耶の玉

新羅の翡翠王冠(5世紀頃)Wikipedia

ドラマでチェファの夫のなる奴隷クチョンは力があるので玉の荷運びの仕事をします。盗賊に取られないよう職人の工房へ運ぶのです。武寧王が石を磨いた什器を他国王に贈る場面がありますが、玉とはヒスイと考えられます。

古代の朝鮮半島南部からヒスイの勾玉などが出土していますが、朝鮮半島にはヒスイの産地はなく日本の糸魚川産などの日本海岸付近の産地のものが伝わったと考えられます。日本では縄文時代からヒスイが権力の象徴として珍重されていました。15
古代は中国で「玉」と称されていたメノウやルリなどの石の中で、緑色の硬玉ヒスイはカワセミを指す翡翠という言葉があてられるようになり、それが室町時代にも日本に伝わりました。16
第10話 「息子を頼む」との先帝の遺言を受けて武寧王がすり替えて育てさせた、実子と先帝の王子は、放縦な従兄弟と真面目な太子として育ちます。
第11話 武寧王の子は、先帝の王子として重臣ヨン達卒タルソルに育てられています。
第12話 姉思いであるがずる賢い美人で、母の姉への愛に嫉妬する妹ソルヒが描かれます。
第13話 武寧王が伽耶国を訪問しソルラン・ソルヒ姉妹は村人と一緒に見物に行きます。

似ている感じの日本の俳優さん。
武寧王 浅野忠信、キムン国王スニムン 中村獅童、主人公ソルラン 安藤サクラ、太子役 若いころの高橋英樹

第14話 伽耶国訪問中の武寧王の過去を知る古参の側近が、チェファと娘を見つけました。
第15話 武寧王はチェファを待ちますが、彼女は王を一目見るだけで会わずに戻ります。
第16話 武寧王がペク・カに先帝を暗殺させたと考える、先帝の王子進無チンム(実はすり替えられた武寧王の子、明王ミョンノン)と養父は、ペク・カの娘をとらえようとチェファ一家を襲います。
第17話 襲撃中に目を切られたチェファのために医者を探す娘たちは、それぞれ明王、チンム一行に遭遇します。盲目となったチェファは妹に姉の出生の秘密を話してしまいます。
第18話 チェファは他の雛を蹴落とす郭公を思い出しながら娘たちの腕の中で死にました。
第19話 妹は母から聞いた姉の出生の秘密を本人に打ち明けられません。
第20話 姉を置いて一人で首都の熊津宮に来た妹が、王に面会しようと結願鼓キョロンゴを鳴らします。
第21話 王に合えず途方に暮れた妹ソルヒは、王の古参側近、ヘ佐平サピョンの奥方に助けられます。
第22話 ソルヒは王に面会し、自分こそ、王が守百花スベクヒャンと名付けた娘であると申し出ました。
第23話 チェファが襲われたことを知った王は太子(実は東城王の子)に復讐を依頼します。
第24話 妹が山賊に襲われたと探す姉は崖で太子を助け、妹を探す援助を依頼します。
第25話 姉は太子に試され、山賊の村へやられますが機転で切り抜けることができました。
第26話 妹は同年代の王妃に気に入られましたが、チンム王子には怪しまれています。
第27話 太子は姉を百済に連れていき密偵集団ピムンでの厳しい訓練を受けさせます。
第28話 王女として迎えられたソルヒは閣を与えられ、王宮で暮らし始めました。
第29話 拾った娘、雪蘭ソルラン(武寧帝の本当の娘)が仲間と訓練に勤しむ様子を太子が見守ります。
第30話 「偽物をさけ実子を戻さねば王の目が傷つけられる」と占い師が言います。
第31話 王の肖像画の目の部分をソルヒが傷つけますが、チンム王子が画家に修復させます。
第32話 チンム王子は王を慕っていたものの、王が描かせた一家の肖像画に入れず恨みます。
第33話 変装訓練をはじめたソルランはソルヒとニアミスしますが、互いに気付きません。
第34話 ソルヒは王妃主催の刺繍会で高官夫人達をやりこめ、一目置かれるようになります。

高句麗

紀元前1世紀頃に成立し17、同じころ成立した新羅18や、3世紀までに成立した百済19と共に朝鮮半島の三国時代とされます。
日本では「こうくり」と読みますが、古語では「こま」と呼んでいました。

4世紀半ばに第13代百済王の近肖古王に侵攻された、第16代高麗王の故国原王は戦死しました。けれども、4世紀の終盤に第19代高麗王の広開土王(好太王)は、倭に占領されていた新羅の王都を奪還するとともに、百済へ侵攻、任那伽耶まで倭軍を追って進軍しました。
次の第20代高句麗王の長寿王は、高句麗の密偵の僧、道琳を送り込みます。碁で取り入った道琳の助言により公共事業で国を疲弊させたところに、長寿王が攻め込んで百済の首都、漢城を襲い第21代百済王の蓋鹵王を処刑したので、南部へ逃亡していた第22代百済王の文周王は熊津で即位しました。

5世紀に最盛期を迎えた高句麗ですが、6世紀には漢城は新羅・百済連合軍に奪還され、最終的に漢城は新羅に占領されました。

7世紀に百済と高句麗は、相次いで唐に滅ぼされ、新羅が残りました。第28代にして最後の高麗王の宝蔵王は、唐に投降し長安に連行されました。政治的責任を問われず遼東州都督・朝鮮王と遇されましたが、後に高句麗復興を図ったことが発覚し流刑となりました。20
高麗から倭に移住してきた人々も多く、武蔵野国をはじめ近畿だけでなく関東各地に集落が置かれました。文武天皇時代の703年には、666年に使節として来日した王族と思われる玄武若光じゃっこうなる人物に、こにきしのカバネを与え高麗王こまの こにきし姓とした記録があります。21

第35話 高句麗コグリョが侵攻し、蓋鹵ケロ王が高句麗の僧道琳トリムを寵愛し侵攻された過去が明かされます。
第36話 ドラマでは道琳は女性で、花を扱う懿花園ウィファウォン将徳チャンドクという位でまだ仕えている設定。
第37話 
ソルランは試練に合格し密偵ピムンとなり、太子は道琳に育成を依頼します。
第38話 高句麗王との会談のため、王女を請人チョンイン(人質)として差し出すよう要請されました。
第39話 太子はソルランを王女の身代わりの請人(人質)にするつもりです。
第40話 太子とソルランは惹かれあっているようですが、道琳がソルランにくぎを刺します。
第41話 ソルランは懿花園ウィファウォンでチンム王子に出会い名乗ります。
第42話 ソルランは正式に密偵ピムンとなり太子から貘のデザインの入れ墨を授けられます。
第43話 ソルランは王女スベクヒャン(ソルヒ)と入れ替わり王と共に会談地加林カリム城に赴きます。
第44話 王とソルランが面談する一方、ソルヒは入れ替わった女ピムンが姉だと気づきます。
第45話 加林城を訪ねたソルヒが高句麗側に見つかってしまい、自分こそ王女と主張します。ソルランは捕えられ、高句麗王は百済側が要求を呑むなら不問にすると交渉の切り札にします。
第46話 ソルヒは、高麗の密偵だと思わせるようソルランを逃がす画策をしますが、本人が逃げなかったうえ、ピムン仲間や太子の尽力で高句麗王の弱点が見つかり、解放されました。
第47話 王に褒美をたずねられたソルランは妹を探してくれる太子との約束をあかし、それを隠れ聞いた妹ソルヒは殺意を覚えます。一方、姉妹を育てた、おしの父クチョンが生きていて高句麗の下で武寧王の暗殺を狙っていることが明かされます。

百済の位階

➤官位は以下のとおりで6品以上の冠には銀の花飾りをし、官位によって帯の色が違ったと伝えられています。22
➤一品官 佐平チャピョン
内臣佐平(王命の伝達)内頭佐平(財政)内法佐平(儀式)衛士佐平(近衛兵)朝廷佐平(司法)兵官佐平(対外軍事)
➤二品官 達率タルソル、三品官 恩率ウンソル、四品官 徳率、五品官 扞率(かんそつ)、六品官 奈率
七品官 将徳チャンドク、八品官 施徳、九品官 固徳コドク、十品官 季徳ケドク、十一品官 対徳テドク
十二品官 文督、十三品官 武督
十四品官 佐軍、十五品官 振武(しんぶ)、十六品官 克虞
➤官庁
内官 – 前内部、穀部、内掠部、外掠部、馬部、刀部、功徳部、薬部、木部、法部、後官部
外官 – 司軍部、司徒部、司空部、司寇部、點口部、客部、外舎部、綢部、日官部、都市部

➤日本では7世紀に聖徳太子により官位十二階が定められたことが有名ですが、その前から制度はあり、同時代ではなく古い時代の中国の影響が認められるそうです。ただ、同時代の中国では職務の序列づけであるのに対し、高句麗、百済、新羅などの国々は人に地位を授け人の序列を表すという点で日本と似ています。
➤日本での制度制定の際には、他国と同じ呼称だと、その国に従属していることになるので、独自の官位を制定したと考えれているそうです。23
➤大徳(濃紫)小徳(薄紫)大仁(濃青)小仁(薄青)大礼(濃赤)小礼(薄赤)大信(濃黄)小信(薄黄)大義(濃白)小義( 薄白)大智(濃黒)小智(薄黒)

➤紀元前7世紀頃の中国の春秋時代、斉の第16代君主桓公24に仕えた豎刁(じゅちょう)25という人物が自ら去勢し宦官となったと伝えられており、中国ではかなり昔に宦官制度がはじまっているようです。新羅の歴史書「三国史記26」は9世紀の第42代興徳王時代の宦官の記述があり、朝鮮半島の各国も中国の制度に倣っているとするならば、百済にも宦官の制度はあったかもしれません。
ドラマでは武寧王の側仕えの内官がありますが、宦官という設定のようにも見えます。

第48話 ソルランは王妃の侍女となり、ソルヒを不安にさせます。
第49話 
ソルヒの侍女ナウンは実は密偵でした。ヘ佐平サンピョンがソルヒを疑っていたのです。
第50話 
王妃にすすめられ太子が見合いをし、ソルランは心穏やかではありません。
第51話 
宴でソルヒがヘ佐平を密偵だと糾弾したところをソルランに見られました。
第52話
 ソルヒが高句麗の将軍と図ってへ佐平に書状を届けさせ、へ佐平が投獄されました。
第53話 王妃は、父、へ佐平のために王女の機嫌をとろうとして侍女のソルランに贈り物を持たせますが、ソルヒは会いませんでした。ソルランは妹に激似の王女を知ろうとします。
第54話 姉妹は再会しますが、ソルヒの提案でしばらくは秘密にしておくことにしました。
第55話 王女(ソルヒ)と険悪の仲になった王妃に、王妃の侍女ソルランは困惑します。
第56話 王女の警護サド(密偵ピムンの教官)が王女のかわりに罪をかぶり死にます。

市女笠

日本の市女笠スタイル

ドラマでは高貴な女性がおしのびで外出する際に、縁から顔が隠れる薄布を垂らした、つばひろの笠をかぶります。日本の市女笠に似ており、ルーツとして関係している可能性がありますが、エビデンスはみつけられませんでした。
日本では元は物売りの女性が被っていましたが、平安時代以降は上流社会にも広まったそうです。27
市女笠にかける薄い布は日本では「むしの垂れ衣」と呼ばれるそうです。からむしという薄手の麻布を使うからとか、害虫よけだからと言われています。28

第57話 姉妹を育てた、おしの父クチョンは、狩り仲間としてチンム王子と懇意になります。
第58話 姉妹の父、おしのクチョンは孤児の少年を保護し一緒に暮らし始めました。
第59話 ソルヒが糾弾した、ヘ佐平が無実で釈放され、ソルヒは宮廷で疎まれます。
第60話 ソルヒの父が王であることを不審に思い、ソルランは実母のことを調べ始めました。
第61話 己汶国の密偵が王を襲おうとしますが、ピムン達の計略で事なきを得ました。
第62話 ソルランは実母の元侍女に会おうと外出し、待ち伏せていた太子に会いました。
第63話 太子とソルランは己汶国王の密偵にとらわれ監禁されます。
第64話 己汶国王は太子誘拐を交渉道具とし命がけで百済王を訪れます。
第65話 己汶国王は百済に逃げた己汶の民、数千人を殺すよう迫りました。
第66話 監禁中に愛を確かめ合った太子とソルランはピムンに見つけ出されました。
第67話 太子が救出されたので己汶国王の目論見は失敗し、己汶国に帰国しました。
第68話 王宮に戻った太子は身分違いを気にしたソルランに避けられます。
第69話 太子とソルランは再び愛を確かめ合います。
第70話 王は、本当は実の子であるチンム公が娘と仲がよいことを心配し、王女に近づくなと公を牽制します。一方、チンム公の養父は、公と王女と結婚させて王位を狙う画策をします。
第71話 密偵の長とトリムは、ソルヒの元護衛サドが持っていた指輪の持ち主を探します。
第72話 ソルランは、姉妹の母の元侍女マックムを探し当て、役人のふりをして会います。
第73話 ソルランとマックムは加林に行き、自害したペク・カの廃屋を訪ねます。
第74話 ソルランは自分が王と母チェファの子であったと知り、偽の王女、妹と対決します。
第75話 ソルランは王に打ち明けたいと思いますが、なかなか機会がありません。
第76話 姉さんがいなければ、異母兄の太子を含め皆が幸せだと、ソルヒが言いました。
第77話 密偵としてキムン国に潜入することをトリムに提案され、ソルランは志願します。
第78話 ソルヒの侍女は、密偵として知った秘密の全てを報告せずソルヒ自身をゆすります。
第79話 密偵としてキムンに入国したソルランはキムン国王の側仕えとなり気に入られます。
第80話 ゆすられていた侍女を殺害してしまったソルランに助けを求められたチンム公は、狩り仲間である、おしのクチョンを王女の、口が堅い護衛として紹介しようとします。
第81話 武寧王を暗殺しようとしたクチョンは、娘が王の側で生きていることに気付きます。
第82話 キムン国王に気に入られたソルランを心配し、太子がキムン国を訪ねました。
第83話 妹ソルヒと父クチョンが再会。兄妹と思うソルランは抱き寄せる太子を拒否します。
第84話 ソルランと外出し貧しい国民を見たキムン国王は心を痛め、武寧王に親書を送ります。
第85話 武寧王の暗殺しようとしたクチョンが実娘が王女として側にいることを知りました。
第86話 キムン国王に休暇をもらったソルランは、故郷の村で養父クチョンと再会しました。
第87話 キムン国王はソルランの正体を知ったものの、平和裏に百済に併合されました。
第88話 ソルランは太子の元を去り、父クチョンと孤児少年と一緒に暮らし始めました。クチョンは狩りに出た武寧王を襲い、ソルヒが王の実娘でないという手紙をこっそりと渡します。
第89話 王を襲った高句麗の密偵をとらえるようソルヒがチンム公に頼みます。チンム公の手下に襲われたクチョンは彼らが家族を襲ったことに気づき、死の間際、ソルランにチンム公からもらった腕輪念珠を渡して母の仇としらせます。
第90話 王宮に戻ったソルランは王家の事件を管理する部門に配属を希望し官職を得ました。
第91話 王は襲った男がチェファの夫クチョンと知り、実娘スベクヒャンとクチョンを探すよう命じます。
第92話 ソルランは新部署で王女の母を襲った犯人を捜す任務を開始しました。
第93話 ソルヒに利用され、マックムは「チェファが死んだ」と、ヘ佐平に騙されていたことを知り、へ佐平にそそのかされたチェファの父が東城王を暗殺したことを武寧王に直訴しました。
第94話 ソルヒの確認により、チェファを襲った一味はチンム公の食客達であるとわかります。
第95話 チンム公はチェファを襲わせたことを認め、へ佐平は解放されました。王は東城王の子として育てさせた実子チンム公の孤独を知り深く後悔します。
第96話 チンム公の養父は、チンム公は生け捕りを命じたことや、自分が村を焼き払うよう命じたことを思い出し、チンム公が自分の名を出さなかったことをに恩義を感じて、王女ソルヒを百済とキムン国の和平妨害者の真犯人として太子に明かすことでチンム公の命乞いをしました。
第97話 王はソルヒに実娘でないと知っていることを告げます。また、護衛や侍女を死に至らしめたこと、チンム公を王にするための和平妨害等も王の前で明らかになり、王女の身分とスクベヒャンの名を廃されます。
➤明妃は不動明王などの明王29の女性称でプヨンは古代では蓮を指しました。(現代は木に咲く蓮という意味のモクプヨンから転じて芙蓉の意味で使われるそうです。30の)ソルヒに与えられた名、明妃プヨンは、さしずめ「立ち直った高貴な前科者の蓮子さん」とでもいう意味にとらえられます。
第98話 トリム将徳には姉妹の秘密がわかりましたが、太子を慕うソルランに、兄妹と明かさず陰から慕っていたいと言われます。
第99話 高句麗が侵攻し、太子は先鋒として前線に出ることを志願します。
第100話 太子は高句麗コクリョ軍を退け、王宮に戻りました。
第101話 死んだ侍女を探すなど言動がおかしくなったソルヒが、王宮を出ようと説得に来たチンム公を刺し、幽閉されます。
第102話 チンム公を心配する王を見た太子は自分の出自を疑い、王の側仕えの内官ホン・リムに問いただして、実は、チンム公が王の実子で自分は東城トンソン王の子であったことを知りました。
第103話 太子と、傷の癒えたチンム公、ソルランは戦場して戦果をあげました。太子はチンム公に事実を打ち明け、チンム公が跡継ぎとなるよう勧めますが、チンム公は王を責め出奔します。
第104話 ソルランは太子と兄妹ではないことを知りました。
➤現代韓国では従妹同士の結婚は禁止されています。儒教の影響が強い国々では近い親等の結婚は禁止されていることが多いようです。
➤古代は近親婚に禁忌が少なかったことや同時代の日本の皇族にも異母兄妹婚などがあったことを鑑みると、百済時代の王族は仏教徒でもあり、いとこ婚は許されるものであると推測できます。ただしTVドラマを制作している現代韓国の視聴者に受け入れられる設定とされていることも考慮に入れなければなりません。
➤ドラマの設定では、太子もソルランも武寧王の子であれば異母兄妹ですが、実は太子は先王東城王の子でした。武寧王と東城王は兄弟という説と叔父甥または従兄弟という説があり、学術的に確定していません。もし、兄弟であれば、太子とソルランはいとこ同士のカップルです。叔父甥や従兄弟の関係であれば、はとこ同士のカップルとなりもう少し関係は遠くなります。
➤ちなみに東城王の父母は叔父姪(または甥の娘)のカップルです。
第105話 責任ある百済王となる太子と結ばれることをあきらめたソルランはソルヒと故郷にもどろうとしますが、ソルヒは、自分が殺害をチンム公に依頼した高句麗の密偵が父親だったことを知り自ら毒を仰ぎます。
第106話 ソルヒは一命をとりとめ、王が皆には知らせないまま本当の王女ソルランに命じた、国の安寧を祈る高貴な舞を見つめます。
第107話 チンム公は王宮に戻り父の危篤に間に合いました。ソルランは、毒のせいで正気を失ってしまった妹ソルヒや仲間と共に故郷に戻ってきます。
第108話 チンム公がやってきて、自分の本名を伝えたソルヒを旅に誘いました。武寧王の跡を継いだ太子は明王となり、ソルランを迎えに来ました。

百済王と日本

百済は倭国や新羅と連合して高句麗に対抗する政策をとっており、倭国にも贈り物や人質(服属の意味よりも盟約上の保証として外交儀礼的意味で王族など高位の人物を滞在させ31手厚く遇する)を送っていました。後には百済は倭国と、新羅は高句麗と連合して対立するようになり、百済は滅亡しますが、王の末裔は日本に亡命しました。
➤父の第17代阿莘王あしんおうに人質として倭国に送られていた第18代腆支王てんしおうは、先代の逝去にともない、倭国兵士に伴われて帰国しました。
➤武寧王の祖父(父?)第21代蓋鹵王は、子の昆支王を倭国に人質として送りました。その子の東城王は先代の三斤王が亡くなった際に、即位するため雄略天皇に500人の兵士をつけてもらって帰国しました。別の子武寧王がいつ百済にもどったのかわかりませんが、生まれた時に送り返された、40代まで倭国にとどまったなどの説があります。武寧王の棺は日本にしか自生しないコウヤマキの木材で作られています。
➤武寧王の子、純陀太子は日本に人質として差し出され、そのまま日本に残って和氏(高野氏)の祖先となり、高野新笠はその子孫との記述が日本側にありますが、朝鮮側には純陀太子の記録はありません。新笠は天智天皇の孫にあたる白壁王(後の光仁天皇)の妃として山部王生みました。
➤第26代聖王の第三子琳聖太子(武寧王の孫)は、日本の大内氏の始祖と言われます。32
➤第28代恵王は、第26代聖王が亡くなったことを日本の欽明天皇に知らせる使者として兄の第27代威徳王から派遣されました。
➤百済王は7世紀の第31代義慈王で途絶えましたが、日本に人質として差し出されていたその子、勇(百済王善光)はそのまま日本にとどまり百済王氏33して日本貴族となりました。子孫の 百済王慶命は嵯峨天皇の女御となり、その子の源定の子孫、藤原賢子が白川天皇の中宮となって堀川天皇を産んで以来、現在の皇室に繋がっています。
兄の扶余豊璋も日本に人質として滞在していましたが、百済が唐に滅ぼされたという知らせを受け、復興を目指し、中大兄皇子の援助を受けて帰国します。しかし、白村江の戦いで百済・倭国連合軍は大敗し、豊璋は唐へ連行され嶺南地方へ流刑となりました。

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  30. 韓国でプヨンと呼ばれている花と、日本で芙蓉と呼ばれている花は同… – Yahoo!知恵袋
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