『女王エリザベス』池田理代子

Yukipedia

『女王エリザベス』池田理代子

女王エリザベス』 (KCデラックス) コミックス – 2013/8/12 池田 理代子 (著), 宮本 えりか (著)

「女王に愛されるということがどういうことか」「あなたには決してわからないんだ!!」「それは男の魂を腐らせるんだ!!」

ロバート・ダドリー1とは、生涯にわたって紆余曲折の愛人関係でした。隠し子がいるとの噂もありましたが、事実ではないようです。

このセリフに限らず、1998年公開の映画『エリザベス』に非常によく似たシーンや設定が多数あります。英国の公式記録は多数残っていおり、事実はかなり公開されているので、事実に基づいて描けば同様の取り上げ方になるのは当然ですが、服のデザインや人物の配置や細かなふるまいなど、かなり似通っています。ただ、映画で、明らかに史実と設定を変えてある部分は採用されていません。
本書の初出は「週刊女性」1998年ですが、映画を種本としてコミカライズまたは、両者の原作が同じという2つの可能性が考えられます。

(C)Yukipedia

ブラッディー・メアリー

メアリー1世1は即位した後、プロテスタントを徹底的に粛正したので、ブラッディー・メアリーと呼ばれるようになりました。

メアリー1世の母、キャサリン・オブ・アラゴンはスペイン出身のカトリック教徒でしたが、その夫ヘンリー8世はキャサリンとの結婚無効を認めないカトリックから脱却し、イギリス独自の教会の長となりました。
それは、ヘンリー8世自身の
・跡継の男児出生の見込みのない妃を離婚して、妊娠中の愛人を新しい妃に迎える
要望のほか
・カトリックの腐敗を訴えるプロテスタントや、
・外国の教皇に支配されることを良しとしないイギリス国民、
・廃止した修道院の所有物を国庫のものとする貧窮した国家財政
にとって歓迎されるものでした。

メアリー1世にとっては新宗教は母の婚姻や自分の出生を公式のものとは認めないアイデンティティの否定につながるものであったとも推測できます。

9歳で即位したエドワード王2は、父ヘンリー8世や、母方祖父のエドワード・シーモア、廷臣ジョン・ダドリー1の影響を受けプロテスタントを厚遇しカトリックをさらに弾圧しました。
エドワード王も父ヘンリーの3番めの妃所生なので、父とキャサリン・オブ・アラゴンの結婚無効を認めないカトリックの立場からは庶子となり、王位の根拠を否定することになりますから、反カトリック派にならざるを得ません。

更にエドワード王が15歳で死去した際、ジョン・ダドリーの画策により、王位継承順位は低いがプロテスタントのジェーン・グレイに王位継承されそうになり、民衆と政府の意を受けて正当な女王として即位した経緯もあり、メアリー1世女王の立場では、プロテスタントは自らの女王としての存在根拠を脅かすものでした。(ジェーン・グレイは反逆罪で処刑されました)

9歳で王位継承権を剥奪され、1553年に37歳で即位したメアリー1世女王は、宗教改革を行いヘンリー王と2番目の妃アン・ブーリンの結婚を認めたクランマー大司教1を含め、女性や子供を含む300人を処刑しました。
フランスでカトリックがプロテスタント(ユグノー)を一晩で粛正したサン・バルテミーの大虐殺1は少しあとの1572年に起こっています。

メアリーの粛正は、ウォッカとトマトジュースで割る真っ赤な色のカクテル、ブラディー・マリー1の語源ともなりました。

1558年にメアリー1世女王は死去し、プロテスタントのエリザベス1世女王が即位しました。エリザベス1世女王は、父ヘンリー8世王と、母アン・ブーリン結婚を認めないカトリックの立場であると王位継承権のない庶子ということなり、反カトリックにならざるを得ません。


 

  1. ウィキペディア(日本語)ロバート・ダドリー_(初代レスター伯)
  2. ウィキペディア(日本語)エドワード6世_(イングランド王)

コメント