『THE TUDORS〜背徳の王冠〜』Season1
- シーズン1 ( )は原題と訳
- 第1話 英国王 ヘンリー8世 (In Cold Blood 冷血)
- 第2話 仇敵 (Simply Henry 単純なヘンリー)
- 第3話 仕組まれた恋 (Wolsey, Wolsey, Wolsey! ウルジー!ウルジー!ウルジー!)エミー賞衣装賞
- 第4話 ヘンリーの決意 (His Majesty, The King 国王陛下)
- 第5話 悲しき王妃 (Arise, My Lord 殿、お立ちください)
- 第6話 落日の兆し (True Love 真の愛)
- 第7話 神の怒り (Message to the Emperor 皇帝へのメッセージ)
- 第8話 世紀の裁判 (Truth and Justice 真実と正義)
- 第9話 栄華の終わり (Look to God First 神第一とせよ)
- 第10話 獅子の目覚め (The Death of Wolsey ウルジーの死)
シーズン1 ( )は原題と訳
第1話 英国王 ヘンリー8世 (In Cold Blood 冷血)
ヘンリー8世(主人公イングランド王)、キャサリン・オブ・アラゴン(王妃)
ジェーン・シーモア(王妃の侍女で王の愛人)、エリザベス・ブーリン(王妃侍女)
トマス・ウルジー枢機卿(王の側近)、トマス・モア(王の側近、教師)
チャールズ・ブランドン(王の寵臣、バッキンガム公娘と交際、後、公爵となり王姉と結婚)
第2代バッキンガム公(エドワード王の直系子孫、第2話で反逆罪で処刑)
ジュ・ド・ポーム(テニスの原型)
ジュ・ド・ポーム2は、テニスのもとになったスポーツで16~17世紀のイギリス・フランスの絶対王政時代にさかんになりました。
古くは素手(フランス語で手のひら=paume)で打ち合っていましたが、後にラケットを使うようになりました。イギリスに渡りテニスと呼ばれるようになりました3。
イギリスの初期のコートは、1526年から1529年にかけてトマス・ウルジー、または1532年から1533年にかけてヘンリー8世によって建設された、ロンドンのハンプトン・コート宮殿のロイヤルテニスコートです4,5。観客席のあるデダーン型と言われるコートです。
スコットランドでも、1539年から1541年にかけてスコットランド王ジェームズ5世の命で造られた観客席の無いカレ型のコートが現存しており、リアルテニスのコートとして利用されています。
第2話 仇敵 (Simply Henry 単純なヘンリー)
トマス・ブーリン(フランス大使)
メアリー・ブーリン(トマスの娘、ヘンリー王の愛人)、
アン・ブーリン(トマスの娘、第3話でンリー王の愛人となる)
エリザベス・ブラント(王妃侍女、王の息子を出産)
フランソワ1世(フランス王)、アンリ2世(フランス王太子)
メアリー(ヘンリー王とキャサリン・オブ・アラゴン王妃の娘、アンリ2世と婚約)
フランスならびにイングランド王
イングランドとフランス内紛による百年戦争2において、1420年にトロワ条約2にて、時のフランス国王シャルル6世の娘婿のイングランド王ヘンリー5世が後継とされました。
1422年ヘンリー5世、シャルル6世が続けて亡くなった後、ヘンリー5世の子ヘンリー6世が「フランスならびにイングランド王」を名乗りました。以来、フランス革命によるフランス王国の消滅を経て、アイルランド反乱を鎮圧したハノーヴァー朝のジョージ3世が「グレートブリテンならびにアイルランド連合王国2」の国王を宣言するまで、代々のイングランド国王はフランス国王とも名乗りました。
一方、ジャンヌ・ダルクを起用し、フランス国土からイングランド勢力を追い払ったシャルル6世の子シャルル7世は2、1429年にランス大聖堂で戴冠式を行い、正式にフランス王を名乗りました。その後、フランスにおけるイングランド領のほとんどを奪還し名実的にフランス王となりました。
第3話 仕組まれた恋 (Wolsey, Wolsey, Wolsey! ウルジー!ウルジー!ウルジー!)エミー賞衣装賞
2007年エミー賞・衣装賞受賞
婚姻の無効
カトリックでは、洗礼、堅信、聖体、ゆるし、病者の塗油、叙階、結婚の7つの行事を「7つの秘蹟」といい2神を神秘を具現化する重要な儀式とされていました。神の前での(教会での正式な)結婚以外は認められていませんし、一旦結婚すれば離婚も認められていませんでした。ただし、性関係がなかったことなどを教会が認めれば、当初からその結婚を無かったこととする「結婚の無効」2とされる場合がありました。
ヘンリー8世が兄嫁のキャサリン・オブ・アラゴンと結婚する際、カトリックで兄嫁との結婚は認められていないので、兄アーサーとキャサリンの結婚が無効であったとする法王の特免状を待って結婚しました。キャサリンの持参金を返したくないイングランドの思惑と、イングランドの支援や娘の地位を確保したいスペインのイザベラ女王の思惑が合致し、法王に圧力をかけたのです。
キャサリンと離婚したいヘンリー8世は、結婚の無効の認定を望みましたが、以前の特免状を覆すような無効は認めにくかった上に、離婚の意思がないキャサリンの甥は法王に影響を及ぼす神聖ローマ帝国のカール5世であったため、無効は認められませんでした。
ヘンリー王は、1533年5月カンタベリー大司教に結婚の無効を認めさせ、6月1日アン・ブーリンを戴冠しています。アンが生む子が庶子とならないような画策でしたが、9月に生まれたのは女児エリザベスでした。翌1534年3月に法王はキャサリン妃の結婚の正当性を認める判決を出し、11月にはヘンリー8世はカトリックから離脱し英国国教会の長となりました。
ヘンリー8世の妹メアリー・チューダーはフランスのルイ12世の3番目の妃となりましたが、1番目の妃は、はとこルイ11世王の娘ジャンヌでした。ジャンヌの弟シャルル8世王が亡くなった時、未亡人アンヌと結婚してフランス王となるため、ルイ12世は法王からジャンヌとの「結婚の無効」をとりつけました。ヘンリー8世の離婚問題の30年ほど前の出来事です。
ルイ12世王妃ジャンヌの弁護士フランソワの視点で描く法廷サスペンス。第121回直木賞受賞の傑作西洋歴史小説。
皮肉なことに、1527年頃よりヘンリーはキャサリン妃との結婚の無効を法王に訴え始めましたが、クレメンス7世は許さず、結果的にヘンリー8世のカトリック教会からの破門に至りました。
☞『Three Sisters, Three Queens』フィリッパ・グレゴリーの小説。マーガレット・チューダーの視点で、キャサリン・オブ・アラゴンやメアリー・チューダーを描いています。
☞レビラト婚と女性差別 兄嫁との結婚と歴史・文化的背景と現代にも残る差別の紹介
マーガレット・チューダー(ヘンリー王の姉、史実では王即位前にスコットランドに嫁ぐ、史実では妹のメアリー・チューダーがフランスに嫁ぎ、後年、ブランドンと結婚)
カルロス1世(スペイン国王、キャサリン王妃の甥)
第4話 ヘンリーの決意 (His Majesty, The King 国王陛下)
信仰の擁護者
ヘンリー8世はルターの宗教改革を批判する『七秘蹟の擁護6,7』を著した功で、1521年10月に教皇レオ10世から「信仰の擁護者(Defender of the Faith)2」の称号を与えられます。後に、イギリス国教会を設立し教皇から破門されるものの、ヘンリー8世以来、代々の国王は公式に「信仰の擁護者」の称号を名乗っています。
秘跡(サクラメント)2とは、ラテン語のサクラメントゥム(Sacramentum)「聖なるもの」、ギリシア語のミュステリオン(μυστήριον)「秘儀」が語源で、神の恩寵が実感できる事柄を指します。カトリック教会では、洗礼、堅信、聖体、ゆるし、病者の塗油、叙階、結婚の7つとされてきました。
マルティン・ルター2は、聖書に根拠のない秘跡や、秘跡の授与や悔い改め無しに贖宥状の購入のみによって償いが軽減されるという考え方や聖職者の堕落を批判し、宗教改革の発端となりました。現在のプロテスタントは「洗礼」と「聖餐」の二つだけを礼典として認めています。ヘンリー8世の著作では、この批判に対して、秘跡とカトリックの聖職者を擁護しているそうです。しかもかなり強い言葉を使って「ルターのような異端者に影響されるな」という締めくくっています。8
ヘンリー8世の論文の邦訳が読みたい。
第5話 悲しき王妃 (Arise, My Lord 殿、お立ちください)
トマス・タリス(宗教音楽家)、ウィリアム・コンプトン(ヘンリー8世廷臣)
ソールズベリー女伯マーガレット・ポール(メアリー王女ガヴァネス2
チューダー・ローズ
(プランタジネット家紋章)
👉イギリスで最初に紋章を用いたのはヘンリー2世2(在位1154~1189年)で、ライオンを用いたデザインから獅子心王と呼ばれました。祖父のヘンリー1世2を継ぐ男子がいなかったので、孫でフランス貴族ジョフロワ4世の息子アンリがヘンリー2世としてイングランド王になりました。
ジョフロワ4世がはマメ科の植物エニシダ(planta genesta、日本名は「金雀枝」)を紋章としていたことから、後に家名とななりました。ただし、「プランタジネット2」を姓として名乗ったのはヨーク家のヨーク公リチャード・プランタジネット(1411~1460年)からです。
👉後にリチャード1世9(在位1189-1199年)が2頭3頭とライオンを増やしたそうです10。
1頭が2頭、2頭が3頭になった事情を知りたいな。
👉エドワード3世は、母方の系統からフランスの王継承権も主張し、フランス王家カペー家のユリとイングランドのライオンをくみあわせた紋章を使いました11。2つの紋章を組み合わせることをマーシャリングというそうです12。
この紋章改訂で注目すべきところは、イングランド王の紋章や国王旗であるにもかかわらず、その優位の位置(左上)にまずフランス王の紋章を置き、劣位の位置にイングランドの紋章を置くという組合せになっていることである。その意味は「われはまずフランス王であり、次いでイングランド王である」ということである。紋章や旗だけでなく、国王の正式称号もまずフランス王であり、次いでイングランド王の順になっていた。さすがにヘンリー4世の1395年からは、まずイングランド王の称号をとなえるようになった。歴代国王はフランス王の紋章を、・・・ジョージ3世の1801年まで、実に461年間手放さなかった。<森護『ユニオン・ジャック物語』1992 中央公論新社 p.100>2
(ラカンスター朝紋章)
👉プランタジネット朝エドワード3世の四男ラカンスター公ジョン・オブ・ゴーントの子ヘンリー4世にはじまる王朝です。薔薇戦争とよばれるラカンスター家とヨーク家の30年にわたる戦いでリチャード3世に勝利し最終的にイングランドの王になったヘンリー7世の旗印は赤い竜2でした。
ローマ軍に由来し、ケルトの象徴としてブリテン人に使用されてきました。中世のアーサー王伝説では、魔術師マリーンがアーサー王の父ユーサー・ペンドラゴン2に息子が偉大な王になることを予言します。ペンドラゴンとは、ユーサーが外敵との戦争の最中に見た明るく輝く彗星を、火の竜として吉兆と考えたたことからつけた、ウェールズ語(ブリトン語)で「竜の頭(あたま)」を意味する称号です。
ヘンリー7世はこの伝説にあやかって竜を旗印としました。戦争末期には赤いバラの花をかたどったバッジが使われるようになりました。
(ヨーク朝紋章)
👉プランタジネット朝エドワード3世の五男ヨーク公エドマンド・オブ・ラングリー2の子孫エドワード4世、およびその弟リチャード3世、その子エドワード5世の王朝です。薔薇戦争とよばれるラカンスター家とヨーク家の30年にわたる戦いの最期の王リチャード3世の軍のバッジは白い猪でした。ヨークは、ヨークシャー北部にある都市の名で、ローマがブリテンに進出してきた頃はラテン語でEboracumと呼ばれていたそうです。このEborの発音と似ているboar(猪)13が採用されたという説もあります。戦争末期には白いバラの花14をかたどったバッジが使われるようになりました。
(チューダー朝紋章)
リチャード3世に勝利したラカンスター派のヘンリー7世2(ヘンリー8世の父)は庶子系であり、王位継承に疑義がもたれる可能性もありました。ヨーク家の直系子孫エリザベス・オブ・ヨークを妻とすることで、両派の和解を図ったのです。ラカンスター家、ヨーク家融合の印として、チューダー・ローズと呼ばれる、赤と白の薔薇を組み合わせた紋を使い始めました。
現在のイギリスの国章2の一部分にもチューダーローズ2が描かれています。
第6話 落日の兆し (True Love 真の愛)
ジョージ・ブーリン(アン・ブーリンの兄)
トーマス・ワイアット(詩人、外交官、アン・ブーリンの元恋人)
ガブリエル・デストレとその妹
ドラマ中、王姉マーガレット・チューダーが、夫チャールズ・ブランドンにふざけて見せる入浴場面は、名画『ガブリエル・デストレとその妹2』のパロディです。
作者不詳で、厳密には『ガブリエル・デストレとその姉妹ビヤール公爵夫人とみなされる肖像』 (Portrait présumé de Gabrielle d’Estrées et de sa sœur la duchesse de Villars) という名称でルーブル美術館所蔵です15。
ドラマの時代よりは少し後の1594年に、フランス王アンリ4世の愛妾ガブリエル・デストレをモデルにして描かれたとされます。このドラマに登場するフランス王フランソワ1世に招かれフォンテーヌブロー城の改築にかかわった、ロッソ・フォレンティーノ2にはじまるフォンテーヌブロー派2によるものとされています。アンリ4世はフランソワ1世の孫娘マルグリット・ド・ヴァロワ(王妃マルゴ)の夫です。
このドラマにこの絵を関連させたことについて、様々な意味を象徴している演出とも憶測出来ます。
👉アンリ4世は愛妾ガブリエル・デストレと結婚するため、ローマ法王に、政略結婚したマルゴ王妃との結婚無効を認めさせます16。(当時はキリスト教で離婚は認められないので結婚自体が無効と認めてもらうのです。)
これは、ヘンリー8世が王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの結婚無効をローマ法王に認めさせようとしたことと似ています。
👉右側がガブリエル・デストレで、左側は9歳下の妹ジュリエンヌ、ヴィヤール公爵夫人というのが通説だそうですが、この姉妹は両方ともアンリ王の愛人だったとの説があります。
ヘンリー8世の愛人で後に王妃となるアン・ブーリンの姉メアリー・ブーリンもヘンリー8世の愛人であったとの説から、姉妹とも王の愛人という共通点もあります。
👉アンリ王の子供を産んだ年に制作されたそうですが、絵の中の指輪はその記念または婚約指輪とも言われています。乳首をつまんでいる様子は母乳の象徴、後ろの乳母が赤ん坊の産着を縫っているなど、子供を妊娠したことを示唆するものと言われています。
ヘンリー8世の愛人アン・ブーリンやメアリー・ブーリンも王の子を産みました。チャールズ・ブランドンと結婚した王妹メアリー・チューダーも子を成しています。
他にもこの絵には、バックに半裸の男性の下半身の絵のようなものが掲げられていることや、暖炉の前にベルベットをかけた箱が置かれていることなど意味深なモチーフが描かれています。
同じフォンテーヌブロー派の絵で、この絵以前の1571年に描かれたという『浴室の貴婦人』も作者不詳ですが、モデルはディアヌ・ド・ポワティエ、アンリ2世王(フランソワ1世の子)の愛妾です。
奥の召使の構図や指輪を持つポーズから『ガブリエル・デストレとその妹』は、この絵を元にしていると言われます。
第7話 神の怒り (Message to the Emperor 皇帝へのメッセージ)
グリーンスリーブス
イギリスの民謡グリーンスリーブス2(1500年代)に生まれ、ヘンリー8世がアン・ブーリンのことを歌ったといわれています。「レイディ・グリーン・スリーヴスの新北方小曲(A New Northern Dittye of the Lady Greene Sleeves)」という記録17もあり、グリーン・スリーブスは直訳すると「緑の袖家の貴婦人」という意味になります。とはいえ研究によると、16世紀後半のイタリア発祥の曲調がちりばめられており、時代があわないので、ヘンリー8世の作品ではありえないとのことです18。
1800年代に『ベアタ・ベアトリクス』や『オフィーリア』で知られるロセッティ2も、グリーンスリーブス貴婦人を描いています。
- フェルッチョ・ブゾーニ:『悲歌集』 – 第4曲『トゥーランドットの居間』
- グスターヴ・ホルスト:『吹奏楽のための第2組曲』 – 第4曲『「ダーガソン」による幻想曲』の対旋律。なお、この第4曲は編曲されて弦楽合奏のための『セント・ポール組曲』にも転用された。
- レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ:『グリーンスリーブスによる幻想曲』 – 上述の『ウィンザーの陽気な女房たち』を基にしたオペラ『恋するサー・ジョン』の間奏曲を編曲し、独立させた作品。
- デビー・レイノルズ – 1962年の映画『西部開拓史』(How the West Was Won)の挿入歌。タイトル『牧場の我が家』(Home in the Meadow)
- ザ・ベンチャーズ – 1965年のアルバム『The Ventures’ Christmas Album』に「Snow Flakes」として収録
- ジェフ・ベック・グループ – 1968年のアルバム『トゥルース』に収録。インスト曲。
- オリビア・ニュートン=ジョン – 1976年のアルバム『Come On Over』に収録。
- ロリーナ・マッケニット – 1991年のアルバム『The Visit』に収録。
- 本田美奈子 – 2003年のアルバム『AVE MARIA』に収録。
- 大竹佑季 – 2005年のアルバム『GREENSLEEVES』に「Greensleeves 〜眠れぬ夜のために〜」として収録。
- 押尾コータロー – 2006年のアルバム『COLOR of LIFE』に収録。
- ノルウェン・ルロワ – 2010年のアルバム『Bretonne』に「収録。
- 平原綾香 – 2011年のアルバム『my Classics3』に収録。
- 水瀬いのり – 2015年の劇場アニメ「心が叫びたがってるんだ。」の劇中のミュージカル『青春の向う脛』で歌われる歌。「わたしの声」のタイトルで制作。
- ジョン・コルトレーン – 1961年のアルバム『Africa/Brass』に初収録。同年のライブを音源とした1997年のアルバム『The Complete 1961 Village Vanguard Recordings』にも2つのバージョンが収録されている。インスト曲。
- ブラックモアズ・ナイト – 1997年のアルバム『Shadow of the Moon』に収録。
第8話 世紀の裁判 (Truth and Justice 真実と正義)
カンペッジョ枢機卿(ヘンリー8世の離婚裁判のために教皇クレメンス7世から派遣される)
第9話 栄華の終わり (Look to God First 神第一とせよ)
16世紀イギリス・フランスの統治者と宗教改革
第10話 獅子の目覚め (The Death of Wolsey ウルジーの死)
メンドゥーサ大使(スペイン大使)、チャプイス大使(メンドゥーサ大使の次のスペイン大使)
ヘンリ-8世の女性遍歴
- ウィキペディア(日本語)THE TUDORS〜背徳の王冠〜
- ウィキペディア(日本語)ジュ・ド・ポーム
- “tennis”, The Oxford English Dictionary, vol. XVII, 1989, p. 777.
- “The Royal Tennis Court: Hampton Court Palace” (英語). 2014年7月5日閲覧。
- “Fact Sheet: Real Tennis and The Royal Tennis Court at Hampton Court Palace (PDF)” (英語). Historic Royal Palaces: Hampton Court Palace. 2015年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月5日閲覧。
- Full text of “Assertio septem sacramentorium, or, defence of the seven sacraments”
- Wikipedia(English)Defence_of_the_Seven_Sacraments
- Henry VIII, Martin Luther and Defense of the Seven Sacraments
- ウィキペディア(日本語)リチャード1世_(イングランド王)
- 英国貨幣研究>貨幣における紋章(第2回)
- 『他民族の国イギリス>第3章 王家の紋章 (pp. 103-163)』
- 英国貨幣研究>貨幣における紋章(第3回)
- Wikipedia(English)White boar
- Wikipedia(English)White_Rose_of_York
- 《ガブリエル・デストレとその姉妹ビヤール公爵夫人とみなされる肖像》”. ルーヴル美術館. 2018年12月9日閲覧。
- ベルギー王立美術館公認解説者、美術史家 森耕冶facebook > 欧州美術史講座
- John M. Ward, “‘And Who But Ladie Greensleeues?'”, in The Well Enchanting Skill: Music, Poetry, and Drama in the Culture of the Renaissance: Essays in Honour of F. W. Sternfeld, edited by John Caldwell, Edward Olleson, and Susan Wollenberg, 181–211 (Oxford:Clarendon Press; New York: Oxford University Press, 1990): 181
- Greensleeves
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