『サロメ』原田マハ
☞サロメ (2015)文春文庫,原田 マハ (著)5つ星のうち4.2 /178個の評価
挿絵画家ビアズリーの姉メイベル(女優)の目から、ビアズリーとオスカーワイルドの関係を『サロメ』の挿絵著作の過程を絡めて描きます。
➤ロンドンのタクシーの天井が高いわけは、山高帽をかぶった紳士が乗り込めるように工夫されたから。
➤ワイルドは男色家でしたが、19世紀の法律では禁止されていました。ただ、彼は、公言はせずとも匂わせることによって注目が集まることを意識し、戦略的に利用していたふしがあります。
➤ワイルドとビアズリーが出会ったのは、1891年、ワイルド36歳、ビアズリー18歳の時でした。
➤ワイルドは『サロメ』を、1981年に滞在中のパリでフランス語で書き下ろしました。英訳したのは、“ボジー(坊や)”と呼ばれるワイルドより16歳年下の恋人アルフレッド・ダグラス。1父のクイーンズベリー卿はアルフレッドの醜聞に厳しく対応しました。
➤ワイルドは『サロメ』を、1981年に滞在中のパリでフランス語で書き下ろしました。英訳したのは、“ボジー(坊や)”と呼ばれるワイルドより16歳年下の恋人アルフレッド・ダグラス。1父のクイーンズベリー卿はアルフレッドの醜聞に厳しく対応しました。
➤パリでは、ロンドン以上に演劇の上演が盛んでサラ・ベルナールもサロメに扮しました。パリ万博で日本美術が紹介され、ジャポニズムが流行りました。
ワイルドは、ポール・ヴェルレーヌ、エミール・ゾラ、アンドレ・ジッド、ステファヌ・マルラメ、エドガー・ドガなどと交流していました。ファム・ファタールの素材としてサロメを題材にした作品も多く発表されました。マルラメ〈エロディアード〉、ギュスターヴ・モロー〈出現〉、ユイマンス〈さかしま〉、フローベル〈ヘロディアス〉など。
➤新約聖書に短く登場するエピソードは、以下のとおり。ヘロデ王が兄嫁ヘロディアを娶ったことをヨハネが非難しました。ヨハネは聖人なので、王は処刑こそしませんが、牢につなぎました。王の誕生日にヘロディアの連れ子の娘が踊りを披露し、王はなんでも褒美をつかわすと約束します。娘はヨハネの首を所望し、衛兵がヨハネの首を刎ね、盆にのせて差し出しました。
聖書にはヘロディアの娘の名自体は出てきません。聖書に登場するヘロデ王と王妃ヘロディアは歴史上の実在人物ですので、実在の王妃の連れ子の名サロメが伝わっています。
➤チャールズ・ディケンズの『荒涼館』1を題材にした演劇もたびたび上演され、1876年には、ジョン・プリングル・バーネットによる演劇Joが上演されました。バーネットの妻であるジェニー・リー2が少年ジョーの役を演じ、ロンドンで成功を収めました[1]。
アーサー・クリントン卿のお相手をしていた男、「ステラ」と「ファニー」のようにね
トーマス・アーネスト・ボールトンとフレデリック・ウィリアム・パークは同性愛者の女装家で、舞台では「ステラ」「ファニー」と名乗っていました。ボールトンは国会議員のアーサー・クリントン卿のお気に入りで、自ら「クリントン夫人」と名乗る名刺も持っていたといいます。3
当時は、同性愛は犯罪で、ボールデンとウィリアムは起訴されましたが、証拠がなく判決は無罪でした。クリントン卿はこの裁判での証言の召喚状を受けとった翌日に亡くなりました。自殺と言われています。3
「サロメは美姫なんかじゃない。化け物だよ」
「恋に狂った女ってのは、私には、ほとんど化け物同様に見える。やはり、君にもそう見えたか。そうか・・・」
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