『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』
原題は『Mary Queen of Scots』で、スコットランドのメアリー1世女王をモチーフにしています。
登場人物と俳優について
- メアリー・スチュアート: シアーシャ・ローナン – スコットランド女王。
シャーシア・ローナン1は、アカデミー賞やゴールデングローブ賞、ベルリン映画祭などで数々の受賞に輝いた『グラン・ブダペスト・ホテル1』で、主人公である移民青年の恋人でケーキ屋の少女を演じていました。
シャーシア・ローナン、黒木華に似てない?
- エリザベス1世: マーゴット・ロビー – イングランド女王。マーゴット・ロビーは、『スーサイド・スクワッドSuicide Squad』 のハーレ・クイン役でブレイクしました。『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダルI, Tonya 』『アニー・イン・ザ・ターミナル Terminal』『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドOnce Upon a Time in Hollywood 』にも出演しています。天然痘であばたになった顔もそれらしく演出されています。
- ウィリアム・セシル(バーリー男爵): ガイ・ピアース – エリザベスの長年にわたる重臣。イギリス生まれのオーストラリア人俳優ガイ・ピアーズはオーストラリア映画『プリシラ』のドラアグ・クイーン役でブレイク。アカデミー賞作品賞などを受賞した『英国王のスピーチ1』では、主人公のジョージ5世の兄で、愛を貫くために王位を退位するイギリス国王エドワード8世役を演じました。『ブリムストーン』では狂信的なプロテスタントの牧師を怪演しています。
- トーマス・ランドルフ: エイドリアン・レスター – イングランド大使。
エイドリアン・レスター1は、舞台でローレンス・オリヴィエ賞を受賞している他、大英帝国勲章も授与されているそうです2。ジャマイカ系イギリス人なので黒い肌ですが、実在のトーマス・ランドルフ3は、一般的なイギリス人の肌色であったと考えられます。けれども監督は、有色の人々がこのような映画から廃される時代は終わったと言います。エイリザベス1世女王の宮廷にも黒人の召使や音楽家、侍女などが仕えていましたし、この映画で重要な役を有色の俳優が演じられない理由がみつからないとも言っています4。 - ベス・オブ・ハードウィック5:ジェンマ・チャン6– エリザベスの宮廷の影響力のある女性。アジア(香港)系イギリス人の女優がキャスティングされています。7
- ジョン・ノックス1:改革派牧師
- ロバート・ダドリー1エリザベスの幼馴染で愛人
男社会の中で、独身でも結婚しても幸せになれない女性君主として分かり合えるのはお互いだけ。それなのに自分自身のアイデンティ(国家を含めて)を守るためには相手と敵対せざるを得ない。次の映画祭で何か受賞するのではないでしょうか。とくにマーゴット・ロビーのエリザベス。
宗教改革と王の立場
宗教改革(しゅうきょうかいかく、英: Protestant Reformation)とは、16世紀(中世末期)のキリスト教世界における教会体制上の革新運動である。贖宥状に対するルターの批判がきっかけとなり、以前から指摘されていた教皇位の世俗化、聖職者の堕落などへの信徒の不満と結びついて、ローマ・カトリック教会からプロテスタントの分離へと発展した。
ウィキペディア(日本語)宗教改革1より
スコットランドのプロテスタントは長老派(教会)1と言われます。長老はカトリックでいう司祭のことです。英語では、Presbyterianism, Presbyterian Churchですが、旧約聖書が書かれたギリシャ語で長老という意味の πρεσβύτερος(presbyteros プレスビュテロス)に由来しています。
スイスのジュネーブ大学の創始者カルヴァン1も、ルターから始まった反カトリックの思想に影響を受けています。ジョン・ノックスは元々イギリス国教会の牧師でしたが、ジュネーブでカルヴァンに学び、スコットランドで長老派を立ち上げ、幼少からフランス王家の宮廷でカトリックとして育ったメアリー女王と対立しました。
6歳で当時の先進国フランスに渡り、18歳で帰国したメアリー女王を「チャラチャラしたフレンチギャル」、スコットランドのプロテスタント方言を東北弁になぞらえて、イメージしやすく表現しています。
メアリーの亡き夫フランソワ1世やその家系のヴァロワ家はカトリック、義母でフランソワ1世の母でイタリアから嫁いできたカトリーヌ・ド・メディシスもカトリック、亡き父スコットランド王ジェームス5世もカトリック、母メアリー・オブ・ギースもカトリックでした。
カトリックは、神は神のことをよく知る代理人(神父)をとおして民と接触します。絶対王政の基盤となる王権神授説1は、王の権力は神から与えられたものとされ、神父のトップである法王(教皇)に認められる必要があります。王としての存在の根拠になるものですから、その地位に就く者はカトリックをやめるわけにはいきません。
ちなみに法王も教皇も英語ではpope(パーパ)ですが、NHKや公文書では一般によく使われているとして「法王」呼称が使用されることが多いようです(”ローマ法王”など)。日本カトリック教会は世俗の君主のイメージの強い「王」という字を含む「法王」でなく「教皇」への統一を求めていますが、外務省がバチカンとローマ法王庁大使館に問い合わせを行ったところ、いずれも変更を求めていないという回答を得ているそうです1。
プロテスタントは、免罪符の販売など聖職者の世俗的な堕落に反対しており、神は民と直接接触するとされ、聖書を理解のよりどころとします。ジョン・ノックスは、著書『婦人の異常な執政に反対する第一声1,8』の中で、旧約聖書の創世記1や新約聖書に「創造の秩序1」として妻は夫に従うものと書かれていることを根拠に、男性が指導者で女性はそれに従うべきと主張し、女王による支配を否定しました。
元々カトリックのイングランドのヘンリー8世王1には直系の男児がありませんでした。子供のできる望みのないスペイン出身の王妃との結婚を無効にするよう法王に要請しましたが、カトリックに影響力のあるスペイン王国および神聖ローマ帝国の支配者カール5世の叔母であるキャサリンとの結婚無効を法王は認めませんでした。カトリックでは結婚は聖職者に認められた結婚だけが神に認められた結婚とされ、また、離婚も認められず、庶子の相続の範囲も限られます。ヘンリー8世も離婚ではなく、王妃は元々兄の許嫁であったことを根拠に結婚の無効を認めてもらおうとしたのでした。
最終的に、ヘンリー8世はカトリックから離脱してインランド国教会を設立し、ローマのカトリック教会側からは破門されました。元妃キャサリンは宮廷から追放され、愛人アン・ブーリンと結婚しエリザベス(後のエリザベス1世女王)が生まれました。
このような経緯から、カトリックでスコットランドのメアリー女王は、エリザベスを庶子として王位継承権を認めませんでした。イングランド王ヘンリー7世の(カトリックの)正当な結婚を通した曾孫メアリー自身が王位継承者と考えていました(エリザベスは庶子ですがヘンリー7世の孫にあたります)。
スコットランドでも、メアリーの父王ジェームス5世にはメアリーの異母兄にあたる庶子ジェームス・スチュアートがあり、庶子を認める考え方であれば、メアリーのスコットランドの王位の正当性まで覆されるからです。
逆に、エリザベス女王の場合は、カトリックの考え方では王位の正当性がなくなるため、カトリックを認めるわけにはいきません。伝統的なカトリックなどの反エリザベス勢力にはイングランドもメアリー女王をの支配下に入ればよいという意見もありました。王位継承権の対立に宗教対立も大いに関係していたのでした。加えて、イタリアやスベインなどのカトリック国や、宗教対立中のフランスなどの情勢もからんでいます。
フランスのプロテスタントはユグノー1と言われます。フランス語の「連合派 (Eidgenossen)」や、ドイツ語のアイトゲノッセ(Eidgenosse、「盟友」)のフランス訛りエーグノもしくはエーニョ(Eignot)から派生し、民間信仰における化け物「ユゴン王」と結びついた蔑称でした9,10。メアリー女王は1561年にスコットランドに帰国していたので、1572年にナヴァル王アンリと王妹マルグリットの結婚式ためにパリに集まったユグノーを、サン・バルテルミの祝日(8月24日)にカトリック派が襲った「サン・バルテルミの虐殺」事件は現場で経験していません。
イングランド、スコットランド、アイルランド
現在のイギリスは、スコットランド、イングランド、ウェールズ、北アイルランドの4つの地域(カントリー)で構成されています。1
スコットランドのメアリー女王の息子ジェームズ1世1(1566年~1625年)がイングランド王位も継承しました。
アイルランドは、1541年ヘンリー8世が、アイルランド王を名乗って以来、イングランド王が兼務し支配権を握っていました1。第一次大戦後、独立戦争が発生しアイルランド自由国を経て、現在はアイルランド共和国1となりましたが、アイルランド島の北部6州は北アイルランドとしてイギリスに属しています1,1。この地域はグレートブリテン島よりの入植者が多かったことや、イギリスに帰属していた方が経済的に有利と考えられた背景があるそうです。
ウェールズ1は、13世紀にイングランドに支配されました。ただ、イングランド王家にウェールズ人ウェールズ大公の血統が入ったり、スコットランドやアイルランドと違って、イギリスと一体化して考えられてきました。イングランド王家の王太子はプリンス・オブ・ウェールズ(ウェールズ公)1の称号が与えられる慣習が現在でも続いています。
イギリスでは、イングランド人とスコットランド人とアイルランド人の国民性を表したエスニック・ジョークがよく言われるそうです。どちらかというと悪口の言い合いや揶揄に近いブラック・ジョークです。
例えば「山道で二人の人間が出会った時、
アイルランド人同士なら殴り合いになる、
スコットランド人同士なら自分の財布を握りしめる、
イングランド人同士なら無言(紹介されていないから)」というもの。
アイルランド人の喧嘩好きと、スコットランド人のけちん坊な性格、イングランド人の唯我独尊・自意識過剰で固い感じが反映されていると、紹介しているブログもあります。1
他にも「イングランド人とスコットランド人とアイルランド人がパブへビールを飲みに行った。出てきたビールにはハエが入っていた。
イングランド人は皮肉を言って取り替えてもらい、
スコットランド人はハエをつまみ出してそのまま飲み、
アイルランド人はハエをつまみ出してハエに「俺のビールを返せ!」と言った。」
イングランド人は皮肉屋で神経質、スコットランド人はおおらかというか大雑把、アイルランド人は酒好きで感情的と言った感じと紹介されているものもあります。1
このような3つの地域をネタにしたエスニック・ジョークは、An Englishman, an Irishman and a Scotsman1と呼ばれ、様々なパターンがあるそうです。
- ウィキペディア(日本語)シャーシア・ローナン
- https://www.thegazette.co.uk/London/issue/60367/supplement/12
- Wikipedia(English)Thomas Randolph (ambassador)
- Mary Queen of Scots’ Fact Check: Was Queen Elizabeth’s Ambassador Actually Black?
- Wikipedia(English)Bess of Hardwick
- Wikipedia(English)Gemma Chan
- The Diverse Domain Of Mary Queen of Scots,Director Josie Rourke’s innovative casting for inclusion
- The First Blast of the Trumpet
Against the Monstrous Regiment of Women
1558 - 金哲雄『ユグノーの経済史的研究』ミネルヴァ書房〈Minerva人文・社会科学叢書, 74〉、2003年。ISBN 4623037495。p.2
- 木崎喜代治『信仰の運命』pp.20-21
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