『日と月の后』沖方丁
主人公や登場人物の感情などを深く描いた小説ではないが、平安時代のややこしい血縁関係や、娘を入内させることが政争になることなどは、この時代をあまり知らない読者には興味深いかも。
初花の章
古くさい型どおりの物語に満足せよ、その登場人物のように大人しく生きていよ、という男の側の思惑に対する、女の側からの反抗といえた。
『竹取物語』や『伊勢物語』は男たちが適当に仕立てた「世に多かる空言」。くだらない物語が世に流布しているのなら、「人にもあらぬ身の上まで」(人並ですらないこの身の上を)書き記したところで、今さら何をさしさわりがあろう。と書いたのが道綱母の『蜻蛉日記』。
すでに三種の神器のうち神鏡が損なわれている
八咫鏡(やたのかがみ)1ha,崇神天皇からの垂仁天皇御代にかけて、実物は伊勢神宮内宮に移され、宮中賢所には形代が置かれました。村上天皇、円融天皇、一条天皇それぞれの代に形代は内裏の火事で損傷しました1。その後、平家によって持ち出されたものの、壇之浦で源義経により取り戻され今に至るそうです。入れ物の中は天皇でさえも見てはならないと言われており、謎に包まれています2。
草薙剣(くさなぎのつるぎ) の本体は熱田神宮に、皇居「剣璽の間」に形代があります。スサノオが火に囲まれた際にこの剣に薙ぎ払い助かったという伝説があり、その地が焼津なのだそうです。壇ノ浦で安徳天皇とともに平清盛の妻である二位尼に抱きかかえられ海に沈みました。鏡と勾玉は回収されましたが、剣は回収できませんでした。その後、順徳天皇時代に伊勢神宮から贈られた神剣を形代としています1。
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま) の実物は皇居「剣璽の間」 にあるとされる。璽と呼ぶこともあり、剣とあわせて「剣璽」と称されます。8尺は約180㎝ですが、瑪瑙の勾玉の周囲を示すとする説や、結わえてある緒も含めた長さとの説もあります1。
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