『女帝~エンペラー~』夜宴(The Banquet)
原作『ハムレット』
2006年の『女帝~エンペラー』は、シェイクスピアの『ハムレット』を五代十国時代のある王朝に置き換えて、王妃(ガードルード)を主人公に設定したアクション史劇風の映画です。
大女優チャン・ツィイーが主演しており、アマゾンでの評価も★3.6とまずまずです。
内容より美術の評価が高い見応えのある映像ですが、逆に、この時代の実際の衣装風俗を反映しているというよりは、かなり脚色されていると考えた方がよいかもしれません。
エンディングのあいまいさや、チャン・ツィイーの表情を抑えた演技から、王妃(ガードルード)の意思がいかようにも読み取れるような演出になっています。
男性社会の中で、女性は意志薄弱で夫や息子のいいなりであったり間違った考えを自己主張するなどの、シェイクスピアの時代背景を反映した原作では、王妃の考えや状況に至った背景などは表現されていません。
この映画では逆に、抑えた表現が、リフレーミング(視点を変えて物事をとらえること)を喚起させる誘因となり、王妃の意思や過去を様々に想像させハムレットの物語の背景に深く思い至ることができるようになっています。
主演チャン・ツィイー
主演チャン・ツィイーは、(原作ガートルード役)「MUSA -武士-」「HERO」「パープル・バタフライ」「ジャスミンの花開く」「最愛」「花の生涯〜梅蘭芳〜」など様々な中国の時代劇映画に出演しています。
時代劇ではないですが、日本のミュージカル「オペレッタ狸御殿」や上海を舞台としたラクロの「危険な関係」などにも出演しています。
監督ファオ・シャオガン『I am not Madame Bovary』
馮 小剛(フォン・シャオガン)監督は『I am not Madame Bovary(2016)』を撮っており、第64回サンセバスチャン国際映画祭・ゴールデン・シェル賞(最優秀作品賞)を受賞しています。
邦題は未だないようですが、直訳すると「私はボヴァリー夫人ではない」という意味になります。フローベルによる『ボヴァリー夫人』は、1850年代にフランスで出版された有名な小説で、田舎の平凡な結婚生活に倦んだ若い女主人公エマ・ボヴァリーが、不倫と借金の末に追い詰められ自殺するまでを描いた作品です。
サマセット・モームも「世界十大小説」に選ぶほどの古典小説ですが、発行当時、風紀紊乱の罪で起訴されたり、日本でも発禁となったりして物議をかもしました。現代ではこの程度のリアリズム表現では驚くべきものではなく古典「文学」と受け止められています。邦訳や映画化も数多く、原作に触発された二次作品も沢山あります。
このフォン・シャオガン監督の映画の原題は、『我不是潘金蓮』で、「私は藩金蓮ではない」と読めます。藩金蓮とは、中国三大奇書ともいわれる『金瓶梅』の主人公です。明時代に執筆された、宋時代を舞台にしたこの小説の主人公、藩金連は、元の夫を殺して富豪の第五夫人に収まり勝手を尽くす淫蕩な女性です。
策を弄してやりたい放題をするポジティブ・イメージの藩金蓮を、やってしまってウジウジと悩むネガティブ・イメージのボヴァリー夫人に模しているのは意外な感じがします。コメディ映画だそうですが、主演は『Lady of the Dynasty』『武則天』のファン・ビンビンです。
時代設定
時代背景は特定していませんが、五代十国時代の後晋をイメージしているそうです。時代を感じさせる演出としては、秦時代に作られた万里の長城のような城が舞台の中心です。
女官の衣装やヘアスタイルは高松塚古墳の壁画に描かれているような日本の古代風俗に似ています。この時代設定は隋や唐の後の時代ですで、その時代のヘアスタイルや衣装を彷彿とさせます。
また、黒子や忍者、足袋1など日本の風物も取り入れられており、中国のその時代を忠実に表現するよりも、西洋から観た中国(東洋)のイメージを表現しているようです。
エンディング
エンディングの暗殺者は映画では明確にされていませんが、セリフの無い役にしては登場時間が長い侍女リンや、死んだ前王の霊という推測などがされています。
「越女剣」とよばれる剣が出てきますが、1970年代金庸の春秋戦国時代を舞台にした短編武俠小説『越女剣』」1には、美女が「気」によって刃を刺す話が掲載されていて、中国の慣用句「西子捧心」(美女は怒った時ほど美しい)の由来なのだそうです2。英語版ウィキペディアでは、あいまいで印象的なエンディングは、この小説に由来している説を紹介しています。
題名
中国語題は『夜宴』、英題は『The Banquet』です。
原題は中国語ですが、邦題は「女帝~エンペラー~」です。日本語の女帝は英語ではエンプレスですが、劇中英語字幕に“ Nobody will call me the Empress anymore. Instead, they will call Her Majesty, the Emperor ”(日本語字幕「みな私を皇后ではなく女帝と呼ぶだろう」)と英訳されていますように、あえてエンプレスではなくエンペラーという副題にしたとのことです。
生きるべきか死ぬべきか
To be or not to be, that is the question. この有名なセリフは日本では「生きるべきか死ぬべきか」という二者択一で翻訳されることが多いのですが、直訳すると(そうあるべきか、そうあらぬべきか)とも翻訳できます。
この映画では皇帝の台詞として以下のように問いかけます。
(日本語字幕)「皇后と呼ぶべきか、皇太后と呼ぶべきか」「ひざまずくべきか、ひざまずかれるべきか」「どうすればいいのか教えてもらおうか」
皇帝(王)の言葉ではありますが、ガードルードの生き方の二者択一を表しているとも言えます。ハムレットが一方を選んだという解釈や選べぬまま運命に巻き込まれたという解釈がありますが、この映画のガードルードは一方の選択を表明します。理由は様々に解釈できるものの、愛のための決断という視点もほのめかされています。
- ウィキペディア(日本語)足袋
- 岡崎由美 監修/林久之、伊藤未央 訳『傑作武俠中篇集 越女剣』(徳間書店、2001年) ISBN 4-19-861363-X p279~p325
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