エリザベート1878

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エリザベート1878

エリザベート18781(2022)現題はCorsage。フランス語で婦人服の身頃・胴部や胴衣のことを指す。装飾のために身頃に付けられる花をbouquet de corsage(ブーケ ドゥ コルサージュ=胴衣の花束)”と表現していましたが、19世紀後半頃から単にcorsageと呼ぶようになりました。2オーストリア、ドイツ、ルクセンブルク、フランスの国際共同製作。
オーストリア皇后エリザベート40歳の1878年を描いています。彼女を演じたルクセンブルグの女優ヴィッキー・クリープス『誰でもない女』『コロニア』『ファントム・スレッド』など3はカンヌ国際映画祭ある視点部門 最優秀賞を受賞しました。
夫のオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世を演じた俳優が児童虐待ポルノ素材所持にて告発され、その後、他の精神的・心理的・性的暴行疑惑も持ち上がったにもかかわらず、作品自体は各国で賞をとるなど評価されています。
ルードヴィヒ2世は、男色や趣味への傾倒などで狂王とよばれることもありますが、従妹のエリザベートとは親しく、エリザベートが妹を妃として推薦したほど。4
マリー・ヴァレリーは母親に最も愛された末娘でした。長姉ゾフィーは母親のハンガリー行に同報した際にチフスで亡くなりました。他に次姉のギーセラがありましたが、幼少期に祖母ゾフィーに育てられたため、あまり母親には懐かなかったそうです。5
皇太子ルドルフは後にベルギー王女と結婚しますが、30歳と時に愛人と情死します。6
“ベイ”ミドルトン大尉は、上司のスペンサー伯爵からエリザベートの接待をするよう頼まれており、エリザベートとの関係を噂されていました。
エリザベートの妹マリー・ヴァレリーは、両シチリア王に嫁ぎましたがイタリア統一後亡命生活を余儀なくされていました。イギリスでは姉にイーストンネストン邸7を紹介しました。マリー・ヴァレリーも私生児を生むなど、父や姉に似て型破りな性格でした。イギリス滞在中にエリザベートが落馬し骨折した愛馬を亡くすという事件もありました。
ルイ・ル・プランスは、映画を発明した人物とされていますが、謎の失踪を遂げています。皇后エリザベートとは直接のつながりの事実は無さそうですが、象徴的な理由で登場させているようです。
マリー・フェステティクス女伯爵やイーダ・フェレンツィなど信頼する侍女がありましたが、手放し難く思うあまり彼女らを結婚を認めませんでした。
セルビアをどうするの?アンドラーシュは何て?
ハンガリー貴族アンドラーシュは、元オーストリア領ハンガリーの初代首相で、1871年オーストリア政府の外相に就任。1878年のベルリン会議(ヘルツェゴビナ蜂起をきっかけに始まったヨーロッパの国際紛争解決のための会議8)で、セルビア民族のスルプスカ共和国を含む連邦国家ボスニア・ヘルツェゴビナ9の行政権を獲得しました。
幼少時にハンガリー貴族から教育を受けたエリザベート皇后はハンガリー民族他、少数民族に同情的であったと言われています。
エリザベート皇后は当時の貴族女性には珍しく、日常的に乗馬、水泳、体操、フェンシングなどを行っていました。10また、たばこも吸っていました。
当時40歳は平民女性の平均寿命とか。映画ではエリザベートの医師はヘロインをすすめます。1874年に英国の科学者によって最初に合成されましたがが、ドイツのバイエルン社により商品化されるのは1897年以降です。絶望的な気分になっているエリザベートが注射を受ける背後では、娘マリーが練習するピアノ曲「“エリーゼ”のために」11
(サイト内リンク)
『イングロリアス・バスターズ』>ヘロイン

 

  1. Corsage (film) – Wikipedia
  2. コサージュとは?正しい付け方とシーン別の選び方を覚えよう | クラフト日和 | 家庭用ミシン | ブラザー
  3. ヴィッキー・クリープス – Wikipedia
  4. ルートヴィヒ2世 (バイエルン王) – Wikipedia
  5. ギーゼラ・フォン・エスターライヒ – Wikipedia
  6. ルドルフ (オーストリア皇太子) – Wikipedia
  7. イーストン・ネストン邸 – Wikipedia
  8. ベルリン会議 (1878年) – Wikipedia
  9. ボスニア・ヘルツェゴビナ – Wikipedia
  10. 美への執念・皇妃エリザベートのダイエットとは
  11. エリーゼのために – Wikipedia

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