『絵で見る十字軍物語』塩野七生
木口木版1は凸版(掘り残した方にインクをつける)木版画であるものの、非常に硬い柘植などの版木と、ビュランという銅版画用の細かい堀刀を使うので、凸版(掘った部分にインクが残る)の銅版画に近いような表現になります。
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「神がそれを望んでおられる」(Deus lo vult)
“この一句の威力はすごかった。”と、信心深いキリスト教徒が「十字軍に参加するだけで免罪され天国へ行ける」と大挙した要因の一端となる名スローガンとして解説しています。この熱狂の波を、畠を耕す鋤から放した馬に乗って去る農民を、家族が見送る様子として描かれています。
11世紀の終わり世紀末の巡礼熱とあいまって、民衆十字軍1や農民十字軍、貧者十字軍とよばれる熱狂的な庶民や下級騎士参加の十字軍が出発しました。教皇が考えていた数千人の軍勢を大幅に超す4万人の移動団となっていました。
“この熱狂の波の外にあったのは、イベリア半島でイスラム教徒と戦争中だったスペイン人と、以前からイスラム世界と交易していた、イタリアの海洋都市国家だけであった。”とも。
西ゴート王国の支配下にあったイベリア半島に、710年ウマイヤ朝イスラム勢力が上陸し、以降13世紀にスペインがアルハンブラ宮殿を陥落させるまで、半島南部を中心に(一時はイベリア半島全体を)様々なイスラム王朝が支配しました。イスラム勢力への抵抗運動は、スペイン語で「再征服」(re=再び、conquista=征服すること)という意味のレコンキスタ1といわれます。
怒ったハンガリー人、十字軍の前に剣をもって立ちはだかる
行列の人々と牛飼いがもめている様子の絵に解説されています。
西ヨーロッパから軍備も食料もなく手ぶらでやってきた人々は、同じキリスト教徒が十字軍を援助してくれるのは当然と考えていました。ハンガリー人など目的地の道筋に住む人々は迷惑を通り越して危険さえも感じ、抵抗したといいます。
現代の難民みたいだね。
ブラティスラヴァの町を責める十字軍
城壁へよじのぼる人々と上から石を落としたり梯子を遠ざけて応戦する人々が描かれています。
現在のチェコスロバキアの首都で、当時はハンガリーの都市であった、ブラティスラヴァ(ブラチスラバ1)では、十字軍対東欧の住民の、キリスト教徒同志の争いが起こってしまいました。
著者は、十字軍の全史を通して、遠征に欠かせない兵站(軍への物資供)への配慮が驚くほどに欠如していると指摘しています。
ニケーア攻防戦
人々が対峙する戦場の上に、十字架を持った天使も(十字軍側に)参戦している様子が描かれています。
(ニケ女神の勝利の町という意味)は、長らく東ローマの都市でしたが1078年にセルジュク朝イスラム王朝に奪取されました。1096年、ニケーアを攻めた民衆十字軍はたやすく破られましたが、翌年、残存者と正規軍が再度攻撃しました。ただ、結果的に、十字軍を支援しながら戦略的に和議攻略もしていた東ローマ国軍がニケーアを占領し、双方の狼藉がおこらないよう十字軍の入市制限や信頼できないトルコ兵1の追放などを行いました。十字軍は、ニケーアで略奪などを行うことができませんでした。
囚われの身になった、西欧の女たち
西洋中世の衣服の女性たちが、宮殿の階段の上方から身分の高そうなイスラムの男性に見下ろされている様子が絵描かれています。
第二次十字軍以降は、フランス王ルイの王妃エレオノーラ・ダキテーヌやその女官など、高位の女性も同行することがありました。戦闘に敗れると捕虜になりましたが、イスラムの習慣では身代金を払えば解放されました。
ただ、身代金を払えない場合はイスラムへの改宗を強いられ、高位の男性のハレムに入れられました。
サラディン、登場
腰に半月刀の鞘をさした軍曹姿の馬上のサラディンが、右手に抜き身の刀を持ったまま両手を挙げている様子が描かれています。
アイユーブ朝1イスラムのサラディン(サラーフ・アッ=ディーン1)は、元々はエジプトを支配するファーティマ朝の宰相でしたが、独立王朝(アイユーブ朝)を樹立しました。エルサレム王国を1187年に破り、さらに第3回十字軍を破ったことから、イスラム世界の英雄とされます。
(Amzonリンク)『サラディンの日』青池保子 (著)5つ星のうち4.4(18個の評価) 以下3話収録
「サラディンの日」1187年7月4日ハッティンの会戦1で十字軍が敗戦した後、10月2日にエルサレムを占領するまでの間に、3人の修道騎士(テンプル騎士団北フランス出身ニコラ、南フランス出身ユーフ、ヨハネ騎士団イタリア出身パオロ)3人が、イスラム軍に占領される前にガザのキリスト教住民を救出する冒険譚。サラディン自身は紹介のみでほとんど登場しません。
「獅子心王リチャード」前述の3人の修道騎士が、シチリアからリチャード王を護衛し、アッコンの奪回まで参画します。道中にリチャード王はキプロス島を占領しますが、思い入れはなく、テンプル騎士団(団長は旧友サプレ2)に売り払います。リチャード王は、狡猾でわがまま勝手な(でも船酔いする)オヤジのキャラクターで描かれています。
「カルタゴ幻想」1929年金融大恐慌の後、二人の考古学者が若いイタリア貴族の資金援助を得て、ハンニバルの財宝を探します。(十字軍とは特に関係のない物語です。)
三夜にわたって、殉教戦士たちの屍(しかばね)の上に降り注いだ奇跡の光
胸に十字の入った白っぽい服(テンプル騎士団員のユニフォーム様)を着た兵士たちの屍が積み重なるアラブ風の建物の中で、兵士たちの上に羽根を広げ彼らを見下ろしてホバリングしている一羽の鳩と、鳩の真下に18の小さい星で構成された光の環。その真上から天窓の光のように光が差し込んで兵士たちに降り注いでいる絵です。
十字軍が占領した地域に打ち立てた十字軍国家1のうちエルサレム王国1は、1099年の第一回十字軍により占領されたエルサレムを擁するものでした。
1187年,サラディンが、ハッティン(ヒッティーン)の戦いの勝利により再度エルサレムを奪還しました1。エルサレムはイエス・キリストの処刑地、モハメットが霊的体験をした場所として、キリスト教、イスラム教両方の聖地となっています。
エルサレムの防衛のために設立された修道会「テンプル騎士団1」は、中世最強の騎士団と呼ばれていました。ホスピタル騎士団1とよばれた聖ヨハネ騎士団のように病院運営などの医療を中心とした活動ではなく、決して降伏しないことを誓い、戦死こそが天国の保障であると考えていた勇猛な騎士団であったので、戦勝後サラディンは、一人残らず徹底的に殺させました。逆に、他のキリスト教徒に対しては虐殺を行いませんでした。
アッコンの攻防戦
敵味方が入り乱れた戦闘の様子が描かれています。
エルサレムを再奪還しようとする第三次十字軍1には、西欧諸国の諸王が参加しました。神聖ローマ帝国のフリードリヒ1世は遠征途上で死亡しましたが、他の軍でエルサレム王国首都アッコン1を陥落しました。ただ、その後、オーストリア公レオポルト5世はフランスやイングランドと同列に扱われなかったため離脱、フランス王フィリップ2世は病気を理由に帰国、最終的に残ったイングランドのリチャード1世獅子心王が、サラディンと休戦協定を結びました。
強き女たち
中世風のドレスの女性とアラブ風の男性が馬上で剣を切り結ぶ場面が描かれています。
イスラム側の記録には、キリスト教側には武装して戦う女がいる、とあるそうです。西洋側の記録にも、第2回、第3回の十字軍には女性兵士が馬にまたがって参戦していた旨が書かれています3。身分の低い女性たちは、洗濯や水くみ、娼婦などでした。
ブロンデッロ、リチャードの声を聴く
塔が見える森影でリュートを担いだ(吟遊詩人らしい)人物が耳をすましている様子が描かれています。
第三次十字軍で出征したイングランドのリチャード王4は、その勇猛さから獅子心王と言われます。夫の十字軍遠征に同行したフランス王妃エレオノーラ・ダキテーヌと、再婚したヘンリー王との間に生まれました。
『王妃アリエノール・ダキテーヌ 』単行本 – 1996/4レジーヌ・ペルヌー (著), 福本 秀子 (翻訳)5つ星のうち5.0(2個の評価)
『王妃エレアノール―ふたつの国の王妃となった女』単行本 – 1988/4石井 美樹子 (著)5つ星のうち5.0(1個の評価)
『王妃エレアノール―十二世紀ルネッサンスの華 』(朝日選書)– 1994/3石井 美樹子 (著)5つ星のうち5.0(4個の評価)『冬のライオン』1
・舞台版(1966年)トニー賞主演女優賞(ローズマリー・ハリス)
・映画版 (1968年)キャサリン・ヘップバーン, アンソニー・ホプキンズ,ティモシー・ダルトン, 5つ星のうち3.5(24個の評価)
アカデミー賞主演女優賞、作曲賞、脚色賞。ゴールデングローブ賞作品賞、主演男優賞。
・舞台版(1999年)再上演
・TV版(2003年)グレン・クローズ、ジョナサン・リース・マイヤーズ(悪女Vanity Fairジョン・オズボーン役、TVドラマTudersヘンリー王役など)
ゴールデングローブ賞主演女優賞、エミー賞衣装デザイン賞
リチャード王は、十字軍遠征の帰途、オーストリアで、確執があったレオポルト5世にとらえられ、神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世に引き渡されますが、多額の身代金の支払いにより解放されました5。
囚われのリチャード王の居場所を確認するために、吟遊詩人ブロンデッロが、以前に王に捧げた歌を(暗号として)歌ったとか、王が歌っているのを通りがかったブロンデッロが耳にしたことから居場所が判明したなどの逸話があります。
リチャード王の不在の間に、弟のジョン王が勝手に統治したり王位簒奪を画策するも失敗したことから、人気のあるリチャード王と悪役のジョン王として、ロビンフット1の伝説のエピソードに登場します。
元首ダンドロ、聖マルコ寺院に集まった市民に、十字軍の必要を説く
教会の壇上で、人々の前両手を挙げて語り掛ける男性の頭上から、羽根が生えた3人の天使が飛んで彼と人々を見下ろしている様子が描かれています。
第四次十字軍6は海路からエジプトのカイロを攻めることになり、ヴェネツィアに海上輸送を依頼しましたが、予定した人数や資金が集まりませんでした。また、エジプトはヴェネツィアの主要交易国でした。
そこで、ヴェネツィアのドージェ(元首、総督)7ダンドロ1は、十字軍への資金請求を放棄するかわりに、カイロではなく敵対するハンガリー王国のザラ1(現クロアチアのザダル)を攻略することを持ち掛け、占領しました。
その後、十字軍はザラを拠点に更に、ビザンツ帝国の首都コンスタンチノープルを陥落1させ、略奪の限りを尽くしました。それは、十字軍がヴェネツィアに支払う資金源となった他、ビザンツ帝国崩壊のきっかけになりました。
十字軍が活用した、攻城器の数々
何台もの巨大な投石器1が城を狙っている様子が描かれています。
造船技術が発達したヴェネチアが参戦することにより、現地で組み立てるのではなく本国で製造した機器を現地まで輸送することができるようになりました。
ヴェネツィア共和国は、都市国家であることから人口が少ない。領土型の国家であるフランスやイギリスに比べて、十分の一の人口しかない。それゆえ、合理化と機械化への執着は徹底していた。
イェルサレムへの道
行列の上空から、剣と旗印を持った、羽根のある天使が見下ろしており、兵士たちが見上げている様子が描かれています。
第五次十字軍1は、当時のエルサレムを支配下とするアイユーブ朝1の本拠地、エジプトのカイロ攻略を目指しましたが失敗しました。
女のスルタン
7~8段の階段の上の玉座に威厳のある女性が座っています。階下向かって右側にあごひげの壮年の男性が、足元に倒れているひげの無い若い男性を見下ろしている様子が描かれています。
サラディーンの弟の孫、第7代スルタン、サーリフには奴隷出身で夭逝した息子を生んだ正夫人シャジャル・アッ=ドゥッル1(真珠の木の意味)がありました。
第七次十字軍が、アイユーブ朝の本拠地、エジプトのカイロを攻めている最中、サーリフが急逝、軍の動揺を防ぐため夫人がそれを隠して名代として司令し、勝利しました。その実績からマルムークというサーリフ直轄の軍人奴隷集団から絶大な支持を受けました。マルムークは辺境の征服地域の少年を集めて軍人奴隷集団に育成する制度で、スルタンの直属の軍団でした。当時はトュルク(トルコ)系が多く、正夫人もトュルク民族出身と考えられています。
戦後、対立したサーリフの息子をマルムークに殺害させ、自ら即位し戦後処理にあたりました。女性スルタンに反対する地方君主もあったので、マルムーク軍団の中で有力者のアイバク8を離婚させて自分が再婚し、アイバクにスルタン位を譲りました。ここから軍人奴隷出身のスルタンが続くのでマルムーク朝と言われます。
ところがアイバクが地方君主の娘と婚姻関係を結ぼうとしたので(嫉妬から?)殺害しました。アイバクの後継の息子第2代スルタン、マンスール・アリーより、その生母で離婚を強制された、アイバクの元妻に下げ渡され、配下の女奴隷たちに殺害されたそうです。
絶望的な闘いに起(た)つ人々
馬上の騎士が詰めよるイスラム軍に剣を振り下ろそうとしている場面が描かれています。
第八次9(その一部分を第九次10とする場合もあります)が最後の十字軍1として敗退した後も、最初の十字軍から200年以上もたち、現地に定着して帰る場所がない現地の十字軍勢力は闘い続けました。
特に、聖地守備の役割で設置された三大騎士団員1,1は、西欧に帰ろうものなら存在理由を失います。
十字軍の後、テンプル騎士団1はフランスにより異端の汚名をきせられ解散させられました。
聖ヨハネ騎士団1は、ロドス島に移りロドス騎士団としてイスラム勢力と対抗、更にシチリア島を経てマルタ島に移りマルタ騎士団1となりました。現在は領土は持たない主権団体としてローマに事務局を置き、イタリア軍医療部隊として活動しています。
ドイツ(チュートン)騎士団は、ドイツ系のプロイセンやハンガリーに招聘され主に東欧を中心にオスマン勢力などと戦いました。現在はチャリティーと医療施設運営の団体としてドイツ・オーストリアを中心にヨーロッパで広く活動しています。
- ウィキペディア(日本語)ギュスターヴ・ドレ
- Wikipedia(English)Robert_IV_of_Sablé
- ジェンダー視点で世界を読み替える> 世界史Ⅰ6.中世ヨーロッパ社会6-5.封建制と貴族社会【女性】十字軍時代の女性たち(富永智津子)
- ウィキペディア(日本語)リチャード1世(イングランド王)
- 歴史上の人物.com>イングランド>リチャード1世
- ウィキペディア(日本語)第4回十字軍
- Madden, Thomas F. (2012). Venice: A New History. New York: Viking Press.ISBN 9781470327682,p.110
- Wikipedia(English)Aybak
- ウィキペディア(日本語)第8回十字軍
- ウィキペディア(日本語)第9回十字軍
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