女系で読み解く天皇の古代史

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邪馬台国の卑弥呼(175-248西暦)の彫刻。弥生文化大阪府立弥生博物館。

女系で読み解く天皇の古代史

女系で読み解く天皇の古代史 (PHP新書)  関 裕二 (著) 5つ星のうち4.4/ 14個の評価

第一章 女王からはじまった国日本

天皇の祖は卑弥呼か

『肥前国風土記』の海松樫媛みるかしひめ、『豊後国風土記』の速来津姫はやきづひめ、『豊後風土記』の久津媛ひさづひめ、『日本書紀』の多油津媛たぶらつひめなど“土蜘蛛”とも呼ばれる多くの女首長(王)が登場しています。

古代日本では歴史の転換期に女王が求められた

イザナギとイザナミのお気に入りの子だったアマテラス1と、追放されたスサノヲが「誓約」をした時、アマテラスが弟の十握剣とつかのつるぎから生じさせたのは宗像三神の女神、スサノヲが姉の髪と装飾品から生じさせたのが五柱の男神でした。

六世紀末まで伝わっていた「妹の力」「ヒメミコ制」

8世紀前半に成立した養老戸令応分条ようろうこりょうおうぶんじょうに、中国の律令にはなかった、女性の財産所有を認める記述があるそうです。

地母神信仰では、豊穣をもたらすのは大地でありそれば女神であるとの発想。『古事記』にはスサノヲが殺した女神 大気津比売神おおげつひめのかみ1の死骸からカイコや稲、栗が生えてきたといいます。

豪族が王家の外戚になる意味

古代ヤマト政権の実権を握っていたのは大王(天皇)ではなく、外戚で、蘇我氏から、奈良時代以降の藤原氏へと引き継がれました。

『日本書紀』はヤマト建国の歴史を抹殺している

藤原氏の祖の中臣鎌足は百済から人質として来日していた豊璋に他ならないと著者は主張しています。

関祐二の歴史書は発想が面白いと思う。ただし、様々な実在原文献を紹介し、なるほど思わせる説もあるが、前提となる根本的な仮説が、藤原不比等が百済王であった等、かなり現在の学術的にはトンデモ説の上に成り立ったアイデアもある。ノンフィクションの研究書や、現在学術的に認められた新説紹介とはいえず、何が現在認められている事実で、何が著者の説か気を付けながら読まなければならない。歴史ドラマに仕立てればかなり面白いものになる気がするが、歴史に詳しくない読者が信じてしまわないか心配にもなる。
アカデミックの経歴はなく本人は独学の歴史作家を称し、かなりの著作を書いているので売れっ子なんだと思う。若い頃は『ヒミコは2人いた』『聖徳太子は蘇我入鹿だった』など、面白空想本っぽい題名だったのに近年は『古代日本と朝鮮半島』『海洋の古代史』など、アカデミックっぽい題名にしている。その方が疑わしさが増すように感じるけれど、そっちの方が売れるのかな?

第二章 不思議なヤマト建国と三つの王家

北部九州と朝鮮半島南部の情勢

北部九州と朝鮮半島最南端は弥生時代から同一文化圏を形成していた。朝鮮半島南部(伽耶や任那と呼ばれる地域)の人びとのミトコンドリアDNAは、縄文人とよく似ていると指摘され(篠田謙一『日本人になった祖先たち』NHK出版)

邪馬台国論争よりも大切な「ヤマト建国」

奈良盆地の纏向遺跡でみつかっ外来系の土器の3割の内訳は伊勢・東海49%(全体の1.5割)山陰・北陸17%(全体の0.5割)。以下、河内、吉備、関東、近江、西部瀬戸内、播磨、紀伊と続きます。

明石海峡の覇権を賭けた播磨の争い

瀬戸内海は出入り口が多く多島海だから、潮の満ち引きで速い潮流が得られる。潮のクセを見抜けば、航海が楽だ。内海だから冬でも利用できる。

 

 

  1. 天照大神 – Wikipedia

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