真言宗御室(おむろ)派の総本山の世界遺産・仁和寺(にんなじ、京都市右京区)の重要文化財・観音堂(かんのんどう)が6年間の修理を終え3日、内部が一般公開された。観音堂は1640年ごろ創建。雨漏りなどで堂内の腐食が進み、平成24年から半解体修理を行ってきた。修行道場のため、普段は未公開だが、今回の修理完了を記念して、京都府教育委員会と同寺が一日限定で公開した。3
仁和寺の歴史は仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。
しかし翌年、光孝天皇は志半ばにして崩御されたため、第59代宇多天皇が先帝の遺志を継がれ、仁和4年(888年)に完成。寺号も元号から仁和寺となりました。[2a]
国宝の「金堂」のほか、重要文化財の「五重塔」「御影堂」があります。
観音堂は、重要文化財で
入母屋造、本瓦葺で前後に向拝が付き、たち(軒までの高さ)の高い建物です。本尊は千手観音菩薩で、脇侍として不動明王・降三世明王、その周りには二十八部衆が安置され、須弥壇の背後や壁面、柱などには、白衣観音をはじめ仏・高僧などが極彩色で描かれています。内部は通常非公開とされ、現在も仁和寺に伝わる法流の相承などに使用されています。[2b]
1640年4は、江戸時代初期の寛永517年で徳川家光将軍の時代です。
観音堂は、応仁の乱で焼失後、再建が始まった江戸初期の寛永18年〜正保元年(1641〜1644年)に建造されました。本瓦葺きの入り母屋造りで、和洋を中心とした建築様式ながら、各所に禅宗様式が加味された折衷様となっています。幅、奥行きともに15mの正方形で、外周には回廊が配置されており、堂内には北側に須弥壇のある内陣、南側に畳の間の外陣からなり、内陣は天井高が約6mの二重折上げ格天井となっています(昭和48年に重要文化財指定)6
仁和寺観音堂デジタル化プロジェクトとは
2011年7月22日〜9月16日、仁和寺観音堂の保存修復に関わるデジタル化を京都大学井手研究室7と共同で実施しました。観音堂は江戸初期の創建から屋根瓦の敷きかえ工事をのぞいて一度も建物全体に修復の手が加えられておらず、観音堂内の極彩色で描かれた障壁画や仏像は経年劣化はあるものの、通常非公開であるため色彩の保存状態が極めて良いものとなっています。撮影された画像は使用された顔料の推定や、当時の技法などを研究する上でも貴重な資料となることが期待されています。[6a]
井出亜里京都大学名誉教授は、写真から推測すると日本人の両親から生まれた方ではなさそうです。京都大学で工学博士を取得8されているので、元々留学されてきて日本人になられたのかもしれません。アリ先生と呼ばれていらっしゃるようです9。平成30年3月に京都大学を退職されました。その後、アリ先生の研究は、一般社団法人 先端イメージング工学研究所で引き継がれています。10
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